宮号を賜った皇族の一家
皇室典範は女性皇族が皇族以外の男子と結婚した場合は皇族ではなくなることが規定されている
女系皇族及び女系天皇の誕生をなくしている
宮家創設は男性皇族に限られ、女性皇族が宮家を創設した例はない
皇室の歴史上、皇統に属する女性皇族が当主となった宮家は、江戸時代に桂宮を継承した淑子内親王(仁孝天皇の第三皇女)の一例
現存する宮家は
三笠宮家・高円宮家はすでに男子が不在
常陸宮家も男子は当主の正仁親王のみ
存続できるのは秋篠宮家のみ
女性宮家創設は実質的に女系皇族を認めることを前提とした制度
皇室
2011年12月現在
天皇陛下
皇族22人で構成
皇太子さま
秋篠宮(あきしののみや)家
常陸宮(ひたちのみや)家
三笠宮(みかさのみや)家
その長男の寛仁(ともひと)親王家、次男の桂宮(かつらのみや)家、三男の高円宮(たかまどのみや)家の6宮家がある
明治天皇の皇女である4人の内親王
竹田宮
北白川宮
朝香宮
東久邇宮の各家に
昭和天皇の皇女・成子内親王が東久邇宮家に
それぞれ嫁いでいるため、現皇室とも姻戚関係が深い。なお、
昭和天皇の皇后である香淳皇后は久邇宮家の女王である
世界大百科事典 第2版の解説
みやけ【宮家】
皇族諸家をいう。令制の皇親制度も中世に至ってまったく衰微し,皇子以下の一家を立て,これを維持することもまれとなった。この間にあって宮家として存立し,皇親の身分を相承したのは,いわゆる世襲親王家である。その初例は鎌倉中期,亀山天皇の皇子恒明親王を始祖とする常磐井(ときわい)宮で,室町中期まで6代にわたって存続した。これに次ぐのは後二条天皇の皇子邦良親王に始まる木寺宮で,室町中期まで6代にわたって存続した。
皇室典範は女性皇族が皇族以外の男子と結婚した場合は皇族ではなくなることが規定されている
女系皇族及び女系天皇の誕生をなくしている
宮家創設は男性皇族に限られ、女性皇族が宮家を創設した例はない
皇室の歴史上、皇統に属する女性皇族が当主となった宮家は、江戸時代に桂宮を継承した淑子内親王(仁孝天皇の第三皇女)の一例
現存する宮家は
三笠宮家・高円宮家はすでに男子が不在
常陸宮家も男子は当主の正仁親王のみ
存続できるのは秋篠宮家のみ
女性宮家創設は実質的に女系皇族を認めることを前提とした制度
皇室
2011年12月現在
天皇陛下
皇族22人で構成
皇太子さま
秋篠宮(あきしののみや)家
常陸宮(ひたちのみや)家
三笠宮(みかさのみや)家
その長男の寛仁(ともひと)親王家、次男の桂宮(かつらのみや)家、三男の高円宮(たかまどのみや)家の6宮家がある
明治天皇の皇女である4人の内親王
竹田宮
北白川宮
朝香宮
東久邇宮の各家に
昭和天皇の皇女・成子内親王が東久邇宮家に
それぞれ嫁いでいるため、現皇室とも姻戚関係が深い。なお、
昭和天皇の皇后である香淳皇后は久邇宮家の女王である
世界大百科事典 第2版の解説
みやけ【宮家】
皇族諸家をいう。令制の皇親制度も中世に至ってまったく衰微し,皇子以下の一家を立て,これを維持することもまれとなった。この間にあって宮家として存立し,皇親の身分を相承したのは,いわゆる世襲親王家である。その初例は鎌倉中期,亀山天皇の皇子恒明親王を始祖とする常磐井(ときわい)宮で,室町中期まで6代にわたって存続した。これに次ぐのは後二条天皇の皇子邦良親王に始まる木寺宮で,室町中期まで6代にわたって存続した。