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リマインダ― 文章論

2024-07-16 | 日本語論理



0716 梅雨明けの予報が出ている。水曜日17日に前線が北へ押し上げられて、そのまま日本列島を離れて、予報地図の平面ではそう見える、18日にも晴れマークが出そうな気配である。梅雨明けの待たれるころ、明けると暑さにうだるのだろう、それを思うと蒸し暑さと猛暑と、季節を乗り越える思いにさきは60日余りか。


 


gooksky さんが 2023年07月16日 に書かれた記事をお届けします。
>文章論と文法
日本語文法論議23716        文章論の議論はなぜ生産的でなくなったか。文章論の提唱が時枝学説の継承にあると見ると、その議論は前提と対象とが収束するものであったからである。そんなことを言うと学校文法文章論を文法として議論するもの、日本語教育で日本人向けの文章論といった試みで行われているものがあり、文章論という研究の議論が続いているように見える。

しかし学説による文章論の継承はその内容に収束してしまうものがいくつかあった。仮説に展開する作品が対象となるという言語現象の証明ができないという事例で、その文章とは究極には作品の解析となるという理論構築は文法領域にとどまることができないと受け止められる。

時枝氏は学校教育にも意見を言語生活の実現、その教育を実践していたので定見となるものがある。それは国語教育の実践委は古典作品の理解が教師の必須であるというもんもであった。言い換えれば国語古典がわからない教師は国語文法がわからないと言ってのけたのであるから、その前提には仮説で見る国語作品の解明という思いがあったのである。

  ―中略ー

さて話を戻すと、言語過程説では言語の現象として単位を設定することができない、そういう結果になるので作品が文章であるという、それは表題も奥付をも含めたもので、句というもののとらえ方に和歌、俳諧、そういったジャンルに及ぶ作品対象の設定であった。時枝学説は句で占めるが、閉まらないのである。

そこで学説継承者には文章の単位にとりあえずと言うと語弊があるが、複数の文をとらえるために文の接続、接続の語による意味関係を明らかにすることから議論があった。仮説の演繹理論はおおむね済まされたことになっている。したがって、文章の単位を設定しての文法解析には、文とは何かを見直すようなことになる。





https://www.youtube.com/watch?v=CDRs4Wvtblw
1069回 沖ノ鳥島にブイに動かない へっぴり腰の外務省
髙橋洋一チャンネル
127163回視聴 14 時間前



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