風呂は、なぜ風呂か。
風炉と書くことがある。
湯殿、浴室、それが、風炉であるのは、辞書によると、
>床を方形に切った炉ではなく、銅や鉄などでつくった、火を入れて暖をとる炉。火鉢の類。*延喜式〔927〕一七・内匠寮「白銅風炉一具料。白銅大三斤。炭四斛」。
という。
またさらに、
>湯を沸かしたり、物を煮炊きしたりする炉。
*私聚百因縁集〔1257〕九・一二「七大寺住は室に釜櫓(フロ)を置かず、政所より飯を、炊ぎ車に積て毎朝に僧坊の前に遣して」
という。
すると、湯を沸かす窯ならぬ釜であるもの、それは茶の湯の道具にある、
>*虎寛本狂言・連歌盗人〔室町末〜近世初〕「是は茶の湯の道具じゃ。其通じゃ。風炉・釜・茶碗・茶入」
というのがあって、風呂は、風炉、風釜であったようである。
火鉢、かまど、こんろ、風呂の類となる。
上記は日本国語大辞典による。
次の解説もある。
>江戸時代初期までは蒸風呂形式のものであったが、のち浴槽をもつ戸棚風呂や水風呂も生まれ、さらに中期には柘榴口(ざくろぐち)をつけた風呂が一般化した。のちには蒸風呂形式はすたれ、現在のように浴槽で入浴する風習となった。
さて、ゆかた は、浴衣と書く。
これは、ゆかたびら、湯帷子の略とある。
日葡辞書には、
>*日葡辞書〔1603〜04〕「ユカタビラ。または、Yukata (ユカタ)〈訳〉後者は音韻脱落。体を湯で洗った時、自分で体を拭くためのカタビラ」
と見える。
湯帷子が転じて、木綿の中形染、ちゅうがたぞめの夏の単物(ひとえもの)のこと、と説明する。
風炉と書くことがある。
湯殿、浴室、それが、風炉であるのは、辞書によると、
>床を方形に切った炉ではなく、銅や鉄などでつくった、火を入れて暖をとる炉。火鉢の類。*延喜式〔927〕一七・内匠寮「白銅風炉一具料。白銅大三斤。炭四斛」。
という。
またさらに、
>湯を沸かしたり、物を煮炊きしたりする炉。
*私聚百因縁集〔1257〕九・一二「七大寺住は室に釜櫓(フロ)を置かず、政所より飯を、炊ぎ車に積て毎朝に僧坊の前に遣して」
という。
すると、湯を沸かす窯ならぬ釜であるもの、それは茶の湯の道具にある、
>*虎寛本狂言・連歌盗人〔室町末〜近世初〕「是は茶の湯の道具じゃ。其通じゃ。風炉・釜・茶碗・茶入」
というのがあって、風呂は、風炉、風釜であったようである。
火鉢、かまど、こんろ、風呂の類となる。
上記は日本国語大辞典による。
次の解説もある。
>江戸時代初期までは蒸風呂形式のものであったが、のち浴槽をもつ戸棚風呂や水風呂も生まれ、さらに中期には柘榴口(ざくろぐち)をつけた風呂が一般化した。のちには蒸風呂形式はすたれ、現在のように浴槽で入浴する風習となった。
さて、ゆかた は、浴衣と書く。
これは、ゆかたびら、湯帷子の略とある。
日葡辞書には、
>*日葡辞書〔1603〜04〕「ユカタビラ。または、Yukata (ユカタ)〈訳〉後者は音韻脱落。体を湯で洗った時、自分で体を拭くためのカタビラ」
と見える。
湯帷子が転じて、木綿の中形染、ちゅうがたぞめの夏の単物(ひとえもの)のこと、と説明する。