0417 韓国船沈没
修学旅行生ら290人不明 韓国船沈没、死者6人に 中日新聞トップ記事、見出しである。20140417
リードには、韓国南西部の全羅南道の珍島(チンド)沖で十六日に発生した大型旅客船の沈没事故で、政府の中央災難安全対策本部は同日午後、男女計三人の死亡を確認したと発表、とある。
左側見出しに、STAP「合理性高い」 笹井氏謝罪、実験ノート見ず とある。4/17
記事には、 新たな万能細胞とされたSTAP細胞の論文問題をめぐり、共著者の一人で理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の笹井芳樹副センター長(52)が十六日、東京都内で記者会見し、論文が疑惑を招いたことを謝罪した上で「STAP現象は現在最も有力な仮説で、観察データに基づくと合理性は高い」と述べ、STAP細胞が存在する可能性を強調した とある。
中段見出しには、「必要最小限」解釈を変更 安保法制懇、集団的自衛権含める とある。4/17
記事には、安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が、憲法九条の政府解釈が認めている「自衛のための必要最小限度の実力行使」に、集団的自衛権の行使を含める解釈変更を提言することが分かった、とある。
中日春秋
2014年4月17日
ピカソとシャガール。ともに二十世紀を代表するこの二人の巨匠のつきあいは、常に緊張感をはらみ、険悪ですらあったという
だが、ピカソはシャガールへの思いをこう打ち明けていたそうだ。「マティスが世を去ったら、色彩とは何か本当にわかっている画家は、シャガールだけになってしまう」
特に、六十歳を過ぎ南仏ヴァンスに居を構えてからの作品を、ピカソは高く買っていた。「ヴァンスで制作した最近の作品を見ると、光に対する感覚をそなえている画家は、ルノワール以来シャガールしかいないと、たしかに思えるよ」(『岩波 世界の美術 シャガール』)
きょう愛知県美術館で始まるシャガール展では、その老熟期の作品群に出会える。パリ・オペラ座の天井画のおびただしい数の下絵、メッス大聖堂のステンドグラス…。ピカソが敬愛してやまなかった光と色彩の世界が、そこに広がる
二人の巨匠はともに、戦争と革命とファシズムの時代を生き抜いた。シャガールはベラルーシでユダヤ人の家庭に生まれたが、故郷の町はナチスによる虐殺と激戦の舞台となり、一万人を超すユダヤ人の命が散ったとされる
ピカソは、シャガールの頭の中には「天使がいるに違いない」とも語ったという。現代社会の闇の深さを知る画家だったからこそ、人々の救いとなる光と色彩の輝きも、知っていたのだろう。
朝日デジタルより
>「もう1日たったんだぞ」。17日朝、沈没現場に近い珍島の彭木(ペンモク)港。若い男性が地元の海洋警察の担当者に詰め寄った。ほかの家族らも「どうなっているんだ」と声を上げ、もみ合いになる場面も。「お気持ちはわかります」。担当者はそう繰り返すしかなかった。
港には100人を超す家族らが詰めかけた。配られた毛布に身をくるみ、海辺に座り込んで現場の方角をじっと見つめる家族たちもいた。すすり泣きとため息は一晩中、絶えることはなかった。
16日深夜から17日未明にかけて、一部の家族が「船内から生存を示す情報が携帯電話に寄せられた」と記者団に訴えた。16日午後10時40分ごろに、「今ここは船の中、何も見えない。まだ私は死んでいない」というメッセージを兄が受け取ったとする家族もいた。
「携帯が通じた母親がいるぞ。4人生きてるそうだ」。そんな情報に人だかりができた。ただ、海洋警察庁は「確認できていない」としている。
海洋警察庁は家族の気持ちに配慮し、16日夜から希望する家族を現場海域まで船で順番に案内している。
「どうだった?」。娘が船内に取り残されているという父親は17日未明に港に戻ると、家族からすがるように尋ねられた。「海の中までよく見えなかった」。言葉少なに答えると家族らは深いため息をつき、むせび泣いた。父親は「船の中で娘は必ず生きています」と気丈に語った。
一方、犠牲者のうち身元が確認された3人の高校生の遺体は17日早朝、珍島から車で約1時間の木浦(モッポ)市内の病院から、学校のある安山市に向けて移送された。遺族らは出発前、遺体に覆いかぶさり、泣きながら何度も子供の名前を叫んだ。
修学旅行生ら290人不明 韓国船沈没、死者6人に 中日新聞トップ記事、見出しである。20140417
リードには、韓国南西部の全羅南道の珍島(チンド)沖で十六日に発生した大型旅客船の沈没事故で、政府の中央災難安全対策本部は同日午後、男女計三人の死亡を確認したと発表、とある。
左側見出しに、STAP「合理性高い」 笹井氏謝罪、実験ノート見ず とある。4/17
記事には、 新たな万能細胞とされたSTAP細胞の論文問題をめぐり、共著者の一人で理化学研究所発生・再生科学総合研究センター(神戸市)の笹井芳樹副センター長(52)が十六日、東京都内で記者会見し、論文が疑惑を招いたことを謝罪した上で「STAP現象は現在最も有力な仮説で、観察データに基づくと合理性は高い」と述べ、STAP細胞が存在する可能性を強調した とある。
中段見出しには、「必要最小限」解釈を変更 安保法制懇、集団的自衛権含める とある。4/17
記事には、安倍晋三首相の私的諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)が、憲法九条の政府解釈が認めている「自衛のための必要最小限度の実力行使」に、集団的自衛権の行使を含める解釈変更を提言することが分かった、とある。
中日春秋
2014年4月17日
ピカソとシャガール。ともに二十世紀を代表するこの二人の巨匠のつきあいは、常に緊張感をはらみ、険悪ですらあったという
だが、ピカソはシャガールへの思いをこう打ち明けていたそうだ。「マティスが世を去ったら、色彩とは何か本当にわかっている画家は、シャガールだけになってしまう」
特に、六十歳を過ぎ南仏ヴァンスに居を構えてからの作品を、ピカソは高く買っていた。「ヴァンスで制作した最近の作品を見ると、光に対する感覚をそなえている画家は、ルノワール以来シャガールしかいないと、たしかに思えるよ」(『岩波 世界の美術 シャガール』)
きょう愛知県美術館で始まるシャガール展では、その老熟期の作品群に出会える。パリ・オペラ座の天井画のおびただしい数の下絵、メッス大聖堂のステンドグラス…。ピカソが敬愛してやまなかった光と色彩の世界が、そこに広がる
二人の巨匠はともに、戦争と革命とファシズムの時代を生き抜いた。シャガールはベラルーシでユダヤ人の家庭に生まれたが、故郷の町はナチスによる虐殺と激戦の舞台となり、一万人を超すユダヤ人の命が散ったとされる
ピカソは、シャガールの頭の中には「天使がいるに違いない」とも語ったという。現代社会の闇の深さを知る画家だったからこそ、人々の救いとなる光と色彩の輝きも、知っていたのだろう。
朝日デジタルより
>「もう1日たったんだぞ」。17日朝、沈没現場に近い珍島の彭木(ペンモク)港。若い男性が地元の海洋警察の担当者に詰め寄った。ほかの家族らも「どうなっているんだ」と声を上げ、もみ合いになる場面も。「お気持ちはわかります」。担当者はそう繰り返すしかなかった。
港には100人を超す家族らが詰めかけた。配られた毛布に身をくるみ、海辺に座り込んで現場の方角をじっと見つめる家族たちもいた。すすり泣きとため息は一晩中、絶えることはなかった。
16日深夜から17日未明にかけて、一部の家族が「船内から生存を示す情報が携帯電話に寄せられた」と記者団に訴えた。16日午後10時40分ごろに、「今ここは船の中、何も見えない。まだ私は死んでいない」というメッセージを兄が受け取ったとする家族もいた。
「携帯が通じた母親がいるぞ。4人生きてるそうだ」。そんな情報に人だかりができた。ただ、海洋警察庁は「確認できていない」としている。
海洋警察庁は家族の気持ちに配慮し、16日夜から希望する家族を現場海域まで船で順番に案内している。
「どうだった?」。娘が船内に取り残されているという父親は17日未明に港に戻ると、家族からすがるように尋ねられた。「海の中までよく見えなかった」。言葉少なに答えると家族らは深いため息をつき、むせび泣いた。父親は「船の中で娘は必ず生きています」と気丈に語った。
一方、犠牲者のうち身元が確認された3人の高校生の遺体は17日早朝、珍島から車で約1時間の木浦(モッポ)市内の病院から、学校のある安山市に向けて移送された。遺族らは出発前、遺体に覆いかぶさり、泣きながら何度も子供の名前を叫んだ。