日本語がどういう言語であるか、おさまりの悪い言い回しである。
日本語が、どういう言語であるか、とでもすればまだ聞こえ方の違いがありそうだ。
にっぽんご、どういうことば、となるようなことである。
にっぽんごが、このガ行音の連続を聞きにくいと思ってしまうひびきである。
そもそもにっぽんごという呼称にむずかしさを思う。
いつからこの名称をとることになったか、それには国語の呼称を思い合せるし、国号とのかかわりもある。
地域の言葉として日本があればそこには日本語があるとしてよいと割り切れば、日本語の地理上の位置は明確である。
地方としての日本が確定していればのことであるが、これには空間にとらえる明解さがなければならない。
四周が海であることがその地域の特性を際立たせている。
その一方で大陸により近くなる北方と、海域を隔てるように琉球諸島をみればそこに日本の限界がある。
その地域に日本があるのはいつからか、自らを大和と称した日本のこの表記に、日本語の始まりがある。
それでも、やまとと、読み続けていたであろう、日本なのである。
字音にして、にっぽん、となることも、いっぽん、にほん、さんぼん、というこの音変化を思えば、ことばを伝えている。
つまり、日本と呼ばれていたのである。にーふぉん、にちふぉん、にっぽんと聞こえたのである。
だいにっぽん、と国号を大日本とした時期があったから、だいにほん、とはならないで、にっぽんになったのであろう。
これについてもくりかえし、和に対する、大和であるから、日本に対する、大日本であって、それこそ、おおやまと、であった。
おお‐やまと〔おほ‐〕【大倭/大日本】
1 日本国の美称。
「―久邇(くに)の京は」〈万・四七五〉
2 大和(やまと)の古称。今の奈良県。
おおやまととよあきつしま【大日本豊秋津洲】
《秋の実り豊かな大和の島の意》本州の美称。また、日本国の美称。とよあきつしま。
「次に―を生みき」〈記・上〉
おおやまと、としての名称があって、それをまた、だいにっぽん、とするようなことである。
そして、にっぽんご、である。
日本語教育という、にっぽんごきょういく、なのか、にほんごきょういく、なのか。
にっぽん、というのに、にほん、とする、この発音にも、二本と日本とが、表記上で同じになる。
日という字には、に という読みがない。
あるのは、にち、にっ、じつ、そして、ひ、である。
日本語が、どういう言語であるか、とでもすればまだ聞こえ方の違いがありそうだ。
にっぽんご、どういうことば、となるようなことである。
にっぽんごが、このガ行音の連続を聞きにくいと思ってしまうひびきである。
そもそもにっぽんごという呼称にむずかしさを思う。
いつからこの名称をとることになったか、それには国語の呼称を思い合せるし、国号とのかかわりもある。
地域の言葉として日本があればそこには日本語があるとしてよいと割り切れば、日本語の地理上の位置は明確である。
地方としての日本が確定していればのことであるが、これには空間にとらえる明解さがなければならない。
四周が海であることがその地域の特性を際立たせている。
その一方で大陸により近くなる北方と、海域を隔てるように琉球諸島をみればそこに日本の限界がある。
その地域に日本があるのはいつからか、自らを大和と称した日本のこの表記に、日本語の始まりがある。
それでも、やまとと、読み続けていたであろう、日本なのである。
字音にして、にっぽん、となることも、いっぽん、にほん、さんぼん、というこの音変化を思えば、ことばを伝えている。
つまり、日本と呼ばれていたのである。にーふぉん、にちふぉん、にっぽんと聞こえたのである。
だいにっぽん、と国号を大日本とした時期があったから、だいにほん、とはならないで、にっぽんになったのであろう。
これについてもくりかえし、和に対する、大和であるから、日本に対する、大日本であって、それこそ、おおやまと、であった。
おお‐やまと〔おほ‐〕【大倭/大日本】
1 日本国の美称。
「―久邇(くに)の京は」〈万・四七五〉
2 大和(やまと)の古称。今の奈良県。
おおやまととよあきつしま【大日本豊秋津洲】
《秋の実り豊かな大和の島の意》本州の美称。また、日本国の美称。とよあきつしま。
「次に―を生みき」〈記・上〉
おおやまと、としての名称があって、それをまた、だいにっぽん、とするようなことである。
そして、にっぽんご、である。
日本語教育という、にっぽんごきょういく、なのか、にほんごきょういく、なのか。
にっぽん、というのに、にほん、とする、この発音にも、二本と日本とが、表記上で同じになる。
日という字には、に という読みがない。
あるのは、にち、にっ、じつ、そして、ひ、である。