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秋の風を

2018-10-14 | 木瓜日記

最高気温が18℃の東京地方、この週は20℃をしたまわる日が週末まで続く。ジャケットか、カーディガンがいる。10月の気温変化がに上下動が激しい。異常気象は秋の気配へと衣替えを始めた。

ニュースで派遣社員の雇止めを奉じている。派遣切り、派遣の労働力がふたたび、大量に問題となるという。派遣法から、2012年の労働契約法改正、2015年の労働派遣法改正、②018年前後に雇用契約への対応が迫られて、2018年問題と言われている。
2012年改正労働契約法で、5年「無期転換ルール」、2018年4月1日から労働者は有期契約から無期への転換を申しれることができるようになっている。2015年の改正派遣法で、派遣社員は個人単位で同一の組織単位で働けるのが3年までとなり、その期限が2018年9月末となる。2018年問題に2つの法改正は労働契約法と労働者派遣法として議論される。


https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_seisaku-kouseiroudou20180816j-05-w560
2018年8月16日掲載時のものです
派遣の雇い止め増加へ=来月末で3年期限到来-法改正後も正社員転換に壁

 改正労働者派遣法の施行から丸3年となる9月30日を機に、派遣労働者が契約更新を断られる「雇い止め」が増えそうだ。3年の期限を越えて同じ人を同一部署で働かせることができなくなるためだ。好景気とはいえ、雇用の調整弁として使いたい企業のニーズはまだまだ根強く、同法が目指した正社員への転換には壁がある。
 同法は「常用雇用の代替になることを防ぎ、労働者のキャリア形成を図る」(厚生労働省)ため、2015年9月末に施行された。

 08年のリーマン・ショック後には雇い止めや、企業の都合で契約を途中で打ち切る派遣切りが続出。「年越し派遣村」ができるなど社会問題化したが、厚労省幹部は「そういう事態にはならないのではないか」とみる。






14日
2007年10月14日07:24

曇り、薄日が射す
気温は低めに移行する
野球のクライマックスシリーズで中日が阪神に圧勝した
リーグとこのシリーズ優勝は球団が限られていまいち、何度も行われるセールだけが優勝セールと残念セールで繰りかえされるようだ

>こうしてみてくると、文学の想像のことはともかく、語学でのことばの用法という点では、文献研究から捉えなおさなければならないことがあるようです。漢字を学び、中国語表現を受け入れるのですが、言語の現象にあらわれるのは、言葉と意味を伴った文学の表現である場合と、言葉だけを学び、字句の内容をとらえて想像することがない、文字の学びだけがあることです。

ここで少し歴史の年表を9世紀までさかのぼり、時代を示して対比してみましょう。日本文学では、古典文学を、古文と漢文とに分けることがあります。漢文は中国の文学ですから、日本の文学ではないのですが、典籍が輸入されてから貴重書として所蔵してきて、常に漢文を訓読して読み解いてきましたので、部分的ですが、日本文学の時系列に並べることができます。

資料には「京都大学所蔵資料でたどる文学史年表」から、約300年を示しました。これはウエブサイトからコピーをしています。簡単な年表ですが、作品名をクリックすると貴重と書の映像が出ますので、モニター画面で見ることができます。白居易の作品が、白氏文集として伝えられてから、約150年で枕草子に引用されます。日本の古典文学で一躍、有名な白氏文集です

白居易は815年、44歳で、江州の司馬に左遷され、817年、46歳で廬山の香炉峰下に草堂を築いたとされます。そときの作品、「香炉峰下新たに山居を卜し、草堂初めて成り、偶々東壁に題す、5首」、その4首目が、清少納言によって一聯が引用されました。貴族たちの宮廷での会話です。外では雪が降って高くつもっていたので、「香炉峰の雪はどうか」と中宮が尋ねます。

枕草子の作者は、「御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば」と記し、自分がした行為を中宮が笑ってご覧だったと書きます。ここには清少納言はもちろん、女主人の中宮が「香炉峰」を用い、すだれを撥ね上げてみた詩句で応じる、白詩の引用をする即興の言葉遊びがあったのです。人口に膾炙したこのサロンでのやり取りは、白居易の詩句を知っていたことを証明します。

この引用された詩を原作に戻ってみましょう。訓読して、「日高く眠り足りて猶起くるに物憂し、小閣にふすまを重ねて寒をおそれず。遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き、香炉峰の雪はすだれをかかげて看る。匡盧はすなわちこれ名をのがるるの地。司馬すなわち老いを送るの官たり。こころやすく身やすきは是れ帰する処、故郷何ぞ独り長安のみにあらんや」と、なります。

あきらかに詩の内容を読み取ると、「まだ起きあがりたくない、布団をかぶって寒いのをしのいで、寺の鐘を枕元で聞き、雪はすだれを巻き上げてみる」とあります。その後に、この生活を詩の表現として暗喩にしている司馬の官を言います。どうも寝転がって、雪を見ていたわけであります。清少納言は真似ることなく、簾を巻き上げただけでしょうから、違いは明瞭です。

ここで詩の内容を議論した文学の影響を見ることは少ない、まったくないのですが、白氏の文学が日本の宮廷に知られていたとする証拠でしょう。女性が漢詩文を読むことをしなかった時代に、まれにそれに通じた女主人と女房のやり取りに、むしろ機転の利いた漢詩文の応酬で、サロン文学の遊びがあったと看ることができるわけです。ひとつの、文学作品の現れでしょう。

先の源氏物語の例では、白居易の長恨歌の筋立てを桐壺更衣の形見の簪に象徴した内容の影響があったのを見ることができました。そして、それをさらに美人の引用で強調してしまった文学上のデフォルメができあがっています。それは、しかし、作者の紫式部がしたものではありませんでした。そのような文献上の操作が、源氏物語の文章で、写本の経過に見て取ることができます。

それでは、どのように白氏の文学は影響していたのかとみてまいりますと、顕著な影響を受けた文学があります。まず、日本の漢詩文学は次のように始まります。西暦の751年には初期の漢詩集として『懐風藻』が編纂されました。続いて、9世紀になって、814年『凌雲集』、818年『文華秀麗集』、827年『経国集』と三つの勅撰集が編まれました。これが漢風賛美と呼ばれる時代です。





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