日本語という固有名称を明らかにできない。すなわち、日本、そして語のことである、日本語をひのもと、やまと、というふうにするのは、語を語ると読む、訓を付けるに等しく、それは誰もが思うところ、その操作と日本語は密接なことである。
国の語、言葉という国語はキリシタン文献の読み解きに始まり、和語に置き換えて国語とする慣用を明治以降の国字問題として引き継ぎ、和字国字を国語とする経緯に国語は漢語をとらえて仮名文字遣いとともに現代に及んだものであった。
しかるに、さらば日本語はどうか。言語のひとつに個別言語とするのはよいが、まず言語とは何か。中国語の語言と日本語の言語と、それも、げんご、ごんご、げんぎょ、とする、言語には原義を求めて日本語になるのはどういうもの、言葉であるのか。
日本語という概念はそのままに近代以降のもので、国語が先行して国文学というようにとらえて、日本文学というのはいまだに良しとしない。国文学には漢文学と外国語文学の翻訳を国語であると解釈することもあったが、日本語にするには、国語と異なって、ジャンルの規定で取り扱えるか。
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