滑って転んで、道路に放り出された格好になった。凍り付いた雪の痕に、わだちを探し、それでも固く、そこに自転車でうろうろとしてハンドルをとられてしまった。自転車の倒れ方と、ふわりと着地で難なきを得たが、見やって車がやってくるかを遠めに確認して、助かったことだと思った。こんな時にどう言っても、褒められた行動ではない。道路を歩くだけで危険であるから、そこを舗道ではなく、自転車で散歩まがいのことに、用があってぐるりと回っていたのだけれど、懲り懲り、命拾いに等しい。25日の午後のことだった。
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潜在能力
2007年01月26日23:51
プレゼンテーションという表現技術は自己をあまねく見せる
ツールを使っての構成の巧みさに現われる能力の高さだ
どれもこれもとばかりに褒めているわけではないが
今日は質の高い内容がそろった
何よりも準備が十分だからだろう
するとこれは表現ツールの道具立てのことではないのである
言いたいことを持つことのその主張がかたちとなっている
しばし、この状況を捉えなおさなければならない
美しい国日本と7回繰り返したとか、施政方針演説のパフォーマンスはなかった、アドリブがなかったということだ
いまの宰相らしくとあるだろうけれど、どこかことばが空回りするのはなぜか
フット、気づいたことがある、そのあることとは
やはり自分から美しい国だなどと、うたわないのが日本人だ、と言うことに尽きる
美しい国というフレーズが
うまし国とかさなるのだ
そうかこれかと
・・・
次は三重県史のページから
>まず、「うまし国」の方から見ていくこととしましょう。文献での初見は『日本書紀』巻六 垂仁天皇二十五年三月の条です。それは天照大神の祭祀を倭姫命に託した一節ですが、原文のうち、「可怜国(うまし国)」という言葉が出てる箇所は、次のとおりです。
是神風伊勢国則常世之浪重浪帰国也、傍国可怜国也。欲居是国。
その大意は、「この神風の伊勢国は、常世の波がしきりに打ち寄せる国である。大和から片寄った遠い国で、美しいよい国である。この国におりたいと思う」ということです。この史料からは、うまし国というのが、伊勢一国を指すことがわかりますが、これは特に伊勢国に限ったものではありません。
本来、「うまし」という言葉は、うまい、味がよいという意味でありますが、もう一つは物に対する賛美の気持ちをあらわし、立派な、素晴らしい、良い、美しいという意味にもよく用いられています。ですから、この頃の「うまし」の表記には「味」のほか「可美」あるいは「可怜」・「怜可」などという字を当てています。『万葉集』巻一-二の中には「うまし国そ あきづ島 大和の国は」とあり、この「うまし国そ」は万葉仮名で「怜可国曾」という表記がなされています。
次いで、「神風の」に目を転じてみます。先に引用した『日本書紀』の一文の冒頭には「是神風伊勢国」、『同書』巻三の神武天皇即位前紀戊午年十月の一節には「伽牟伽筮能伊齊能于瀰能於費異之(神風ノ伊勢ノ海ノ大石)」とあり、また『同書』巻十四の雄略天皇十二年十月にも「柯武柯噬能伊制能(神風ノ伊勢ノ)」という一節もあります。
これらの用例のほかに、『万葉集』一-八-所収の和銅五年(七一二)に詠まれた「山の辺の御井を見がてり神風の伊勢娘子ども相見つるかも」という短歌や持統天皇十年(六九六)柿本人麻呂が詠んだ長歌の中の一節に「度会の斎の宮ゆ神風にい吹き惑はし天雲を日の目も見せず」などがあります。
以上のように、「神風」は古く「かむかぜ」と読み、「神の吹かせる風、神のいる所に吹く風」という意味ですが、「神風の」となると、伊勢にかかる枕詞とされています。
参考文献
・新訂増補国史大系『日本書紀 前篇』 吉川弘文館 昭和六十二年
・新編日本古典文学全集6『万葉集一』 小学館 平成六年
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潜在能力
2007年01月26日23:51
プレゼンテーションという表現技術は自己をあまねく見せる
ツールを使っての構成の巧みさに現われる能力の高さだ
どれもこれもとばかりに褒めているわけではないが
今日は質の高い内容がそろった
何よりも準備が十分だからだろう
するとこれは表現ツールの道具立てのことではないのである
言いたいことを持つことのその主張がかたちとなっている
しばし、この状況を捉えなおさなければならない
美しい国日本と7回繰り返したとか、施政方針演説のパフォーマンスはなかった、アドリブがなかったということだ
いまの宰相らしくとあるだろうけれど、どこかことばが空回りするのはなぜか
フット、気づいたことがある、そのあることとは
やはり自分から美しい国だなどと、うたわないのが日本人だ、と言うことに尽きる
美しい国というフレーズが
うまし国とかさなるのだ
そうかこれかと
・・・
次は三重県史のページから
>まず、「うまし国」の方から見ていくこととしましょう。文献での初見は『日本書紀』巻六 垂仁天皇二十五年三月の条です。それは天照大神の祭祀を倭姫命に託した一節ですが、原文のうち、「可怜国(うまし国)」という言葉が出てる箇所は、次のとおりです。
是神風伊勢国則常世之浪重浪帰国也、傍国可怜国也。欲居是国。
その大意は、「この神風の伊勢国は、常世の波がしきりに打ち寄せる国である。大和から片寄った遠い国で、美しいよい国である。この国におりたいと思う」ということです。この史料からは、うまし国というのが、伊勢一国を指すことがわかりますが、これは特に伊勢国に限ったものではありません。
本来、「うまし」という言葉は、うまい、味がよいという意味でありますが、もう一つは物に対する賛美の気持ちをあらわし、立派な、素晴らしい、良い、美しいという意味にもよく用いられています。ですから、この頃の「うまし」の表記には「味」のほか「可美」あるいは「可怜」・「怜可」などという字を当てています。『万葉集』巻一-二の中には「うまし国そ あきづ島 大和の国は」とあり、この「うまし国そ」は万葉仮名で「怜可国曾」という表記がなされています。
次いで、「神風の」に目を転じてみます。先に引用した『日本書紀』の一文の冒頭には「是神風伊勢国」、『同書』巻三の神武天皇即位前紀戊午年十月の一節には「伽牟伽筮能伊齊能于瀰能於費異之(神風ノ伊勢ノ海ノ大石)」とあり、また『同書』巻十四の雄略天皇十二年十月にも「柯武柯噬能伊制能(神風ノ伊勢ノ)」という一節もあります。
これらの用例のほかに、『万葉集』一-八-所収の和銅五年(七一二)に詠まれた「山の辺の御井を見がてり神風の伊勢娘子ども相見つるかも」という短歌や持統天皇十年(六九六)柿本人麻呂が詠んだ長歌の中の一節に「度会の斎の宮ゆ神風にい吹き惑はし天雲を日の目も見せず」などがあります。
以上のように、「神風」は古く「かむかぜ」と読み、「神の吹かせる風、神のいる所に吹く風」という意味ですが、「神風の」となると、伊勢にかかる枕詞とされています。
参考文献
・新訂増補国史大系『日本書紀 前篇』 吉川弘文館 昭和六十二年
・新編日本古典文学全集6『万葉集一』 小学館 平成六年