日本の国号が歴史書に現れる視点で、中国の史書に言及する。倭国伝、日本伝、扶桑国伝とその呼称は歴史記述に見えて、
『旧唐書』……倭・日本
この併記が、その日本国号の名称を記録としてあらわすことになる。あるサイトでの呼称の別を史書の時系列にするものがあったが、どうも本の目次のままらしい記載で、その伝に書かれた記述を扱っていないよいうである。
『梁書』巻54 列伝第48 諸夷 海南 東夷 西北諸戎 扶桑國
倭・倭人関連の中国文献 - Wikipedia
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倭・倭人関連の中国文献(わ・わじんかんれんのちゅうごくぶんけん)は、倭・倭人や倭国のことが書かれている中国の文献について解説する。 ... 周代は日本の縄文時代晩期から弥生時代前期にあたり、成王の在位は前1042年~前1021年とされるが、『論衡』自体は1世紀に .... 邪馬台国についての直接の記述は無いが、魏の時代の倭人や卑弥呼については書かれている。 ..... 伝 ・後漢書倭伝・宋書 倭国伝・隋書 倭国伝』岩波文庫 、1985年; 石原道博編訳『旧唐書倭国日本伝・宋史日本伝・元史日本伝』岩波文庫、1986年.
新訂 旧唐書倭国日本伝・ 宋史日本伝・元史日本伝
中国正史日本伝2
唐から元に至る間の中国の正史に残された日本伝の記述を選び,一冊に収める.阿倍仲麻呂・空海らの遣唐使の記述をはじめ,当時の日本の風土や外交,特に元寇をめぐる両国の交渉について詳しく記され,日中交渉史の点からはもちろん,中国人の日本観の変遷を読みとる上でも恰好の書である.原文(影印)・現代語訳を新たに付す.
『倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本』(藤堂 明保,竹田 晃 ...
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中国歴代王朝が綴る歴史書の中の日本 漢委奴国王金印、邪馬台国、倭の五王、秀吉の朝鮮出兵――中国が見た日本の1500年 古来、日本は中国 ... 聖徳太子、往来する遣隋使; 『旧唐書』倭国伝・日本伝――「倭」と「日本」; 『新唐書』日本伝――遣唐使、先進文化の伝来; 『宋史』日本国伝――平安末期に活発化する商船や禅僧の交流; 『元史』日本伝――元寇(文永・弘安の役); 『明史』日本伝――倭寇、勘合貿易、秀吉の朝鮮出兵 ...
製品名 倭国伝 全訳注 中国正史に描かれた日本
著者名 著:藤堂 明保 著:竹田 晃 著:影山 輝國
発売日 2010年09月14日
価格 定価 : 本体1,520円(税別)
講談社学術文庫
初出 原本は1985年、学習研究社から刊行された。
>目次
『後漢書』東夷伝――漢委奴国王の金印受賜
『三国志』魏志倭人伝――卑弥呼と邪馬台国
『宋書』倭国伝――倭の五王の世紀、古代日朝関係
『隋書』倭国伝――聖徳太子、往来する遣隋使
『旧唐書』倭国伝・日本伝――「倭」と「日本」
『新唐書』日本伝――遣唐使、先進文化の伝来
『宋史』日本国伝――平安末期に活発化する商船や禅僧の交流
『元史』日本伝――元寇(文永・弘安の役)
『明史』日本伝――倭寇、勘合貿易、秀吉の朝鮮出兵
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1711/16/news015.html
2017年11月16日 11時30分 公開
日本はいつから「日本」なのか?
かつてこの国は「倭」と呼ばれていた。
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しかしながら、中国の歴史書でヤマトがどのように示されているかを見てみると、
『後漢書』……倭
『三国志』……倭
『宋書』………倭
『隋書』………倭
『旧唐書』……倭・日本
『新唐書』……日本
『宋史』………日本
『元史』………日本
『明史』………日本
と、(5)を境に「倭」と「日本」とが分かれます。(5)は中国の王朝「唐」の時代の歴史を記したものですから、つまり、唐代に「倭」が「日本」になった、ということです。おおむね西暦700年を過ぎたくらいの時代です。
ウイキペディアより
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中国の正史
中国では、当初は『春秋』のように編年体の史書が一般的であったが、司馬遷の著した『史記』以来、紀伝体が盛んに行われるようになった。史記を継いで前漢王朝一代の歴史書とした班固の『漢書』からは王朝ごとに時代を区切った紀伝体の史書(いわゆる「断代史」)の体裁が流行した。しかし、「史記」「漢書」をはじめ、西晋の陳寿が書いた『三国志』、宋の范曄が書いた『後漢書』、梁の沈約が書いた『宋書』など、当初の紀伝体史書はみな個人の撰であった。
唐に至って、歴史書を編纂する事業は国家の事業となり、『晋書』『梁書』『陳書』『周書』『隋書』などが次々と編纂され、これまでの紀伝体の史書のうち史記や漢書、三国志などとあわせて「正史」とした。これらは北朝の系譜に連なる唐の編纂であるが故に、晋朝の後継国である南朝よりも、むしろ北朝の諸王朝を正統として扱う傾向があったといわれる。こうして唐以降、正史は王朝の支配の正統性を明らかにする道具となり、王朝が成立すると滅亡した前王朝の正史を編纂させるようになった。このため、正確さよりも政治的思惑が最優先されて歴史書としての価値は大きく損なわれる事になった。
清のとき、二十四書が正史として再度選ばれ、「二十四史」と呼ばれるようになったので、中国の正史といえば普通二十四史を指す。二十四史に、中華民国期に編纂された『新元史』や『清史稿』を含めて「二十五史」あるいは「二十六史」という呼び方も見られる。