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百人一首

2014-02-20 | 日本語あれこれ百科
10 百人一首の百人を選んだのは

片づけをしていたら、日本語あれこれ事典があった。20140211 日本語学の臨時増刊号である。出版年は、2002年11月、VOL.21 とある。日本語あれこれ百科をかんがえてみよう。

百人一首はその呼び名の通り、歌を集めた詞華集である。いつのころからか、歌かるたとして庶民にも愛好されているため、人気の根強いことが分かる。その由来は、藤原定家の日記、明月記、1235年、文暦2年5月27日にある記述にさかのぼり、百人秀歌の名があるものになる。そこには、いまの百人一首に比べて、後鳥羽院と順徳院の歌がない、一条院皇后宮、権中納言国信、権中納言長方の歌が入っている、、源俊頼朝臣の歌が別の歌である点である。定家は、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院まで、100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、年代順に色紙にしたためたとされるもので、その後に小倉百人一首と呼ばれる。成立した年代は確定されていないが、13世紀の前半と推定されると説明される。

藤原定家が百人秀歌を選んでいたことから、百人一首の原撰本として位置付けられる。
定家による小倉百人一首がほぼ明らかになったが、その二つの歌の出入り、官職名の呼称などから、その後の、編集もあるようである。

http://ja.wikipedia.org/wiki/百人秀歌

>藤原定家の撰による歌集である。1951年、有吉保によって存在が明らかになった。
>『百人一首』に記されている100の歌と比べると、98人の歌人による97首の歌が一致しているが、3首は異なり、1首多く合計101首の歌がある。なぜこんな事をしたのかは定かではないが、承久の乱を計画し鎌倉幕府に流罪処分を受けていた最中の後鳥羽院の歌がはじめに発表された『百人一首』にあり、後の『百人秀歌』にない事から、『百人秀歌』は定家の政治的配慮がこめられていた『百人一首』の修正版ではないかとの説がある。


小倉百人一首に選ばれた100名、男性79名、女性21名。
男性は、天皇7名、親王1名。公卿28名うち摂政関白4名、征夷大将軍1名。下級貴族28名、僧侶12名、詳細不明3名。
女性は、天皇1名、内親王1名。女房17名、公卿の母2名。


http://www.manabu-oshieru.com/hyakunin.html
天智天皇 持統天皇 柿本人麻呂 山部赤人  猿丸
大伴家持 阿倍仲麿 喜撰     小野小町  蝉丸  
小野篁     遍照     陽成天皇 源融   光孝天皇    
在原行平    在原業平 藤原敏行 伊勢   元良親王    
素性      文屋康秀 大江千里 菅原道真  藤原定方   
藤原忠平    藤原兼輔 源宗于     凡河内躬恒 壬生忠岑  
坂上是則    春道列樹 紀友則     藤原興風 紀貫之   
清原深養父   文屋朝康 右近     源等     平兼盛   
壬生忠見    清原元輔 藤原敦忠 藤原朝忠 藤原伊尹  
曾禰好忠    恵慶     源重之     大中臣能宣 藤原義孝  
藤原実方    藤原道信 道綱母     儀同三司母 藤原公任  
和泉式部    紫式部     大弐三位 赤染衛門 小式部内侍 
伊勢大輔    清少納言 藤原道雅 藤原定頼 相模   
行尊      周防内侍 三条天皇 能因    良暹     
源経信     紀伊     大江匡房 源俊頼    藤原基俊   
藤原忠道 崇徳天皇 源兼昌     藤原顕輔 堀河   
藤原実定    道因     藤原俊成 藤原清輔 俊恵   
西行      寂蓮     皇嘉門院別当 式子内親王 殷富門院大輔  
藤原良経    讃岐     源実朝     藤原雅経 慈円     
藤原公経    藤原定家    藤原家隆 後鳥羽天皇 順徳天皇


一覧

1 天智天皇
2 持統天皇
3 柿本人麻呂
4 山部赤人
5 猿丸大夫
6 中納言家持(大伴家持)
7 阿倍仲麻呂
8 喜撰法師
9 小野小町
10 蝉丸
11 参議篁(小野篁)
12 僧正遍昭
13 陽成院(陽成天皇)
14 河原左大臣(源融)
15 光孝天皇
16 中納言行平(在原行平)
17 在原業平朝臣
18 藤原敏行朝臣
19 伊勢
20 元良親王
21 素性法師
22 文屋康秀
23 大江千里
24 菅家(菅原道真)
25 三条右大臣(藤原定方)
26 貞信公(藤原忠平)
27 中納言兼輔(藤原兼輔)
28 源宗于朝臣
29 凡河内躬恒
30 壬生忠岑
31 坂上是則
32 春道列樹
33 紀友則
34 藤原興風
35 紀貫之
36 清原深養父
37 文屋朝康
38 右近
39 参議等(源等)
40 平兼盛
41 壬生忠見
42 清原元輔
43 権中納言敦忠(藤原敦忠)
44 中納言朝忠(藤原朝忠)
45 謙徳公(藤原伊尹)
46 曽禰好忠
47 恵慶法師
48 源重之
49 大中臣能宣朝臣
50 藤原義孝
51 藤原実方朝臣
52 藤原道信朝臣
53 右大将道綱母(藤原道綱母)
54 儀同三司母(高階貴子)
55 大納言公任(藤原公任)
56 和泉式部
57 紫式部
58 大弐三位
59 赤染衛門
60 小式部内侍
61 伊勢大輔
62 清少納言
63 左京大夫道雅(藤原道雅)
64 権中納言定頼(藤原定頼)
65 相模
66 前大僧正行尊
67 周防内侍
68 三条院(三条天皇)
69 能因法師
70 良暹法師
71 大納言経信(源経信)
72 祐子内親王家紀伊
73 前権中納言匡房(大江匡房)
74 源俊頼朝臣
75 藤原基俊
76 法性寺入道前関白太政大臣(藤原忠通)
77 崇徳院(崇徳天皇)
78 源兼昌
79 左京大夫顕輔(藤原顕輔)
80 待賢門院堀河
81 後徳大寺左大臣(徳大寺実定)
82 道因法師(藤原敦頼)
83 皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)
84 藤原清輔朝臣
85 俊恵法師
86 西行法師
87 寂蓮法師
88 皇嘉門院別当
89 式子内親王
90 殷富門院大輔
91 後京極摂政前太政大臣(九条良経)
92 二条院讃岐
93 鎌倉右大臣(源実朝)
94 参議雅経(飛鳥井雅経)
95 前大僧正慈円
96 入道前太政大臣(西園寺公経)
97 権中納言定家(藤原定家)
98 従二位家隆(藤原家隆)
99 後鳥羽院(後鳥羽天皇)
100 順徳院(順徳天皇)

百人秀歌
53 一条院皇后宮
73 権中納言国信
90 権中納言長方


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