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1005 日本語の文は主語と述語からなる。文章の単位にその単位文の主語を見つけることになる。文章は意味上の分析を以てその主語となる語句を分析する。単位文にその文単独で主語を表現しないときは単位の扱いを句とする。主語の有無によって文を規定することになるが、句読によって切れ目を持つ文と句とが文章の中で単位となる。文はまた文章に機能する主題を明示する語によってその単位として意味内容の表現を充足することがあるので文章の主題、文の主語として分析できる。
日本語の文は主語と述語からなる。文章の単位にその単位文の主語を見つけることになる。文章は意味上の分析を以てその主語となる語句を分析する。単位文にその文単独で主語を表現しないときは単位の扱いを句とする。主語の有無によって文を規定することになるが、句読によって切れ目を持つ文と句とが文章の中で単位となる。文はまた文章に機能する主題を明示する語によってその単位として意味内容の表現を充足することがあるので文章の主題、文の主語として分析できる。
日本語の文はセンテンスの訳語とし文法用語となっている。それはまた文章と翻訳してきたが、文法の単位には翻訳に重視されてきた。
センテンスが教育文法に定着して、英語に、日本語に、共通する文法単位となったかに見える。
しかし、そこには文法体系の彼我の違いを見て、日本語には文成立を基本の単位にしない考え方が現れている。
日本語で文の必須要素ではないという主語の規定について、主語をとらえる、とらえない、という議論である。
もちろん英語文法の教科では文委主語は必須の要素である。
この考え方の背景に文法論の拠るものから、文成立の文の単位には主語を必須要素としないとすればそれでよかったのである。
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