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日本語教育に

2017-09-26 | 日本語教育の歴史
日本語教育史、日本語の教育の歴史、日本語教育の歴史、この二つでは、だいぶ異なる。言語を見るか、教育を見るか、言語史と教育史と、その違いようである。実はここには、言語研究の歴史があって、日本語研究史となることがらがある。日本語教育の歴史を見ることは、もう一方で日本語研究の歴史とかかわるからである。そうすると日本語の歴史が記述されることとなり、教育の歴史に言語の歴史をどうかかわる、かかわらせるかが、日本教育史の見方になる。とらえどころのない話となるので、それでは教育の側面から見ていくと、これも広く議論をすれば、学習のこと、教師のこと、そして教材のことと、その視点があって、それぞれのところで教育史を知ることになる。ここに、日本語教育理論を考え合わせると、その理論があるわけではないので、日本語教授理論として、日本語教授論、日本語教授学、日本語教授法と、まずは、始めることになる。



ブログの記事より

日本語教育史の視点
2014-08-22 13:38:16 | 日本語教育史
歴史となると記録である。歴史記述として歴史書がある。それは歴史物語としてもある。語られる歴史として記録し記述される歴史書と、人々の記憶にある歴史を語ることと、そのいずれが歴史であるか。日本語教育の歴史に、その記録を求めるとすると、その歴史研究としてのことがらがある。また歴史には時代をわけて時間的な経緯に述べていくものと、出来事の起こりを視点としてそのものごとの伸張また消長を述べる立場がある。

日本語教育の歴史を見ると、時代的な画期をもとにその流れをたどることができる。視点にはいくつかのとらえ方があるだろうが、日本語を外国語教育としたのは、やはり、留学生に行った教育の歴史である。わたしには1980年代の留学生について変化があったことをとらえている。その前に日本語教育の歴史にとらえられるのは、なにかを述べてみたい。

言語教育として母語のほかに言語を学ばなければならないとしたら、それは民族の衝突要因にある。領土争い、侵略による征服が言語に影響する。勢力の強い民族には文明語としての征服者の言語があって、常に征服される側の周辺の民族は蛮語を用いているとされるのである。野蛮という語はその言語を理解できない者たちという意味であるから、つねに言語対立は起こっていたのである。その時代を経て国としての言語を中心にすれば、外国語という考えができるようになる。

そのような視点に立てば、日本語教育の歴史にも画期のできごとがある。それを並べてみると、民族移入の時代、遣唐使の時代、漂流民の時代、交易の時代、布教の時代、そして留学生の時代である。外国語教育は文明の伝播にあって、その文化文明を取り入れる働きをしていた一方で、たとえば軍隊の遠征による、また、冒険者たちによる技術思想の伝達があったりもした。日本語教育は、もともと、中国を受け入れ、ヨーロッパの文明を受け入れて、中国語を学び、英語を学びしてきたので、日本語を教えると言うことは、近代になって留学生を受け入れるところから始まったのである。


留学生教育の語学以前
2014-08-25 14:05:47 | 日本語教育史
日本語教育の歴史は留学生教育にあるとその視点を据えて述べようとする。すると、このとらえ方にはすぐに日本語とは何か、留学生とはなにかを明らかにすることが前提となる。これはさかのぼって留学生、留学僧と知る遣隋使、遣唐使派遣のことがらにまで考え及ぼすことになる一方で、日本語はいつから日本語であるかという根本の疑義にいたる。そこでその捉え方について思いを巡らせて、それ以前のことがらに日本語の系譜をたどるようなことになる。わざわざ日本語教育の歴史に民族の移入ということを見ようとしたのはそのゆえんであるが、民族という概念も近代以降に成立したことのようであるから、その民族の概念において言語教育を見るようなことは時代が異なることになるから、民俗の移入とでもすべきことを思い合せようとする。

日本語教育が成人に対して第2言語習得のために行われるとすれば、日本語母語話者ではない人々への外国語としての日本語教育となる。この外国語としての日本語は日本語母語話者が内省的にとらえる国語と異なって、すでに持つ第1の言語教育に対してそれ以外の言語教育を行うことを表わしているので、日本語の外から見た言語である。この日本語教育の見方は時代とともに展開してきた現代の日本語学学習の情況の一つとして認められることである。この日本語教育の観点から留学生の日本語教育を捉えようとすれば留学生が学ぶ外国語教育のことになる。日本語を外国語としてとらえて学習する留学生の立場を、外国語を学ぶ日本の留学生にも置き換えてみようとする。


日本語教育史と日本史時代区分
2014-08-26 18:17:16 | 日本語教育史
日本語教育史と日本史

歴史の時代区分は都、幕府、行政府の所在地にその名称が表わされている。あるいはそこに行政の長が権力者として名前を重ねる。日本史は、都に平城京平安京をおいたところから、鎌倉幕府室町幕府と移り、徳川幕府が続いた。その後に東京遷都が時代を継続して明治、大正、昭和となり再び都と行政府が同じ場所において政治が敷かれた。昭和の後半から平成の時代へ現代になって国家体制が新たになった。

時代名称を奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代、そして明治時代以降としてたのは政治が執り行われたところからであるが、支配者は豪族貴族の統一朝廷、武家による封建制、そして立憲君主制を経て民主国家となってきた。その始まりを平城宮以前にどの時点に置くかは議論があるが、7世紀から凡そ200年、400年、400年、そして250年、近代は100年と70年になろうとする年数である

歴史の時代は画期に、できごと、政治社会、為政者など、歴史事件によって記録される。そこには時代を特徴づける風潮、イデオロギー、人々の生活によってもとらえられることがあるし、経済、技術、地域交流などにも表わされることがある。人類にとって戦争という、近年の世界大戦に見る時代の特徴もある。このような視点から歴史を見るならば、日本語教育には何があるだろうか。

これまでの研究では、関(1997)による日本語教育時代区分があり、次のようである。
(1) 外国人主体の日本語学習・日本語教育の時代(19世紀末以前)
(2) 「侵略的」日本語普及教育の時代(19世紀末~1945年)
(3) 国際交流のための日本語教育の時代(戦後~現代)<関正昭(1997)『日本語教育史研究序説』>


日本語研究とかかわる
2014-08-27 14:14:06 | 日本語教育史
日本語教育と日本語研究は大きく影響する。日本語教育は外国語としての日本語という見方を与える。するとその日本語は国語を内省でとらえていた場合と異なって、個別言語としての日本語をほかの言語と合わせてみることになる。日本語研究は対照研究としても行われるので、その研究手法には日本語教育での語学研究などと影響する。

日本語教育史を知ることはその日本語研究の具体的な成果を知ることにつながる。視点をもって見るなら、日本語の歴史は、20世紀半ばまで行われた漢文訓読語法と20世紀後半からの英語教育に、日本語教育の歴史は、日本語を教えはじめた、留学生教育にはじまって、第2次大戦とアジア地域に、日本語史と日本語教育史は、朝貢の隋、唐へ使節派遣から留学生10万人受け入れ政策までという区分ができる。


日本語教育史再掲 
2016-10-18 23:03:07 | 日本語教育史
201408-日本語教育史 再掲

歴史となると記録である。歴史記述として歴史書がある。それは歴史物語としてもある。語られる歴史として記録し記述される歴史書と、人々の記憶にある歴史を語ることと、そのいずれが歴史であるか。日本語教育の歴史に、その記録を求めるとすると、その歴史研究としてのことがらがある。また歴史には時代をわけて時間的な経緯に述べていくものと、出来事の起こりを視点としてそのものごとの伸張また消長を述べる立場がある。

日本語教育の歴史を見ると、時代的な画期をもとにその流れをたどることができる。視点にはいくつかのとらえ方があるだろうが、日本語を外国語教育としたのは、やはり、留学生に行った教育の歴史である。わたしには1980年代の留学生について変化があったことをとらえている。その前に日本語教育の歴史にとらえられるのは、なにかを述べてみたい。

言語教育として母語のほかに言語を学ばなければならないとしたら、それは民族の衝突要因にある。領土争い、侵略による征服が言語に影響する。勢力の強い民族には文明語としての征服者の言語があって、常に征服される側の周辺の民族は蛮語を用いているとされるのである。野蛮という語はその言語を理解できない者たちという意味であるから、つねに言語対立は起こっていたのである。その時代を経て国としての言語を中心にすれば、外国語という考えができるようになる。

そのような視点に立てば、日本語教育の歴史にも画期のできごとがある。それを並べてみると、民族移入の時代、遣唐使の時代、漂流民の時代、交易の時代、布教の時代、そして留学生の時代である。外国語教育は文明の伝播にあって、その文化文明を取り入れる働きをしていた一方で、たとえば軍隊の遠征による、また、冒険者たちによる技術思想の伝達があったりもした。日本語教育は、もともと、中国を受け入れ、ヨーロッパの文明を受け入れて、中国語を学び、英語を学びしてきたので、日本語を教えると言うことは、近代になって留学生を受け入れるところから始まったのである。

日本語教育の歴史は留学生教育にあるとその視点を据えて述べようとする。すると、このとらえ方にはすぐに日本語とは何か、留学生とはなにかを明らかにすることが前提となる。これはさかのぼって留学生、留学僧と知る遣隋使、遣唐使派遣のことがらにまで考え及ぼすことになる一方で、日本語はいつから日本語であるかという根本の疑義にいたる。そこでその捉え方について思いを巡らせて、それ以前のことがらに日本語の系譜をたどるようなことになる。わざわざ日本語教育の歴史に民族の移入ということを見ようとしたのはそのゆえんであるが、民族という概念も近代以降に成立したことのようであるから、その民族の概念において言語教育を見るようなことは時代が異なることになるから、民俗の移入とでもすべきことを思い合せようとする。

日本語教育が成人に対して第2言語習得のために行われるとすれば、日本語母語話者ではない人々への外国語としての日本語教育となる。この外国語としての日本語は日本語母語話者が内省的にとらえる国語と異なって、すでに持つ第1の言語教育に対してそれ以外の言語教育を行うことを表わしているので、日本語の外から見た言語である。この日本語教育の見方は時代とともに展開してきた現代の日本語学学習の情況の一つとして認められることである。この日本語教育の観点から留学生の日本語教育を捉えようとすれば留学生が学ぶ外国語教育のことになる。日本語を外国語としてとらえて学習する留学生の立場を、外国語を学ぶ日本の留学生にも置き換えてみようとする。

日本語教育史と日本史

歴史の時代区分は都、幕府、行政府の所在地にその名称が表わされている。あるいはそこに行政の長が権力者として名前を重ねる。日本史は、都に平城京平安京をおいたところから、鎌倉幕府室町幕府と移り、徳川幕府が続いた。その後に東京遷都が時代を継続して明治、大正、昭和となり再び都と行政府が同じ場所において政治が敷かれた。昭和の後半から平成の時代へ現代になって国家体制が新たになった。

時代名称を奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、江戸時代、そして明治時代以降としてたのは政治が執り行われたところからであるが、支配者は豪族貴族の統一朝廷、武家による封建制、そして立憲君主制を経て民主国家となってきた。その始まりを平城宮以前にどの時点に置くかは議論があるが、7世紀から凡そ200年、400年、400年、そして250年、近代は100年と70年になろうとする年数である

歴史の時代は画期に、できごと、政治社会、為政者など、歴史事件によって記録される。そこには時代を特徴づける風潮、イデオロギー、人々の生活によってもとらえられることがあるし、経済、技術、地域交流などにも表わされることがある。人類にとって戦争という、近年の世界大戦に見る時代の特徴もある。このような視点から歴史を見るならば、日本語教育には何があるだろうか。

これまでの研究では、関(1997)による日本語教育時代区分があり、次のようである。
(1) 外国人主体の日本語学習・日本語教育の時代(19世紀末以前)
(2) 「侵略的」日本語普及教育の時代(19世紀末~1945年)
(3) 国際交流のための日本語教育の時代(戦後~現代)<関正昭(1997)『日本語教育史研究序説』>

日本語教育と日本語研究は大きく影響する。日本語教育は外国語としての日本語という見方を与える。するとその日本語は国語を内省でとらえていた場合と異なって、個別言語としての日本語をほかの言語と合わせてみることになる。日本語研究は対照研究としても行われるので、その研究手法には日本語教育での語学研究などと影響する。

日本語教育史を知ることはその日本語研究の具体的な成果を知ることにつながる。視点をもって見るなら、日本語の歴史は、20世紀半ばまで行われた漢文訓読語法と20世紀後半からの英語教育に、日本語教育の歴史は、日本語を教えはじめた、留学生教育にはじまって、第2次大戦とアジア地域に、日本語史と日本語教育史は、朝貢の隋、唐へ使節派遣から留学生10万人受け入れ政策までという区分ができる。






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