誠を誠実と書くと、そのまことには、まこと、真、本当のこと、真実の意味内容が含まれてくる。嘘偽りのない心である。篤実、 真摯、 忠実、至誠など、誠実、誠意の誠字には、まさかりで敵を平定する、安定する、という意味があるとなると、誠心誠意などの語の成立を思うことになる。
誠とは - 語彙 - 古今名言集~座右の銘にすべき言葉
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せい
誠とは言を成すと書くが如く、真実で嘘・偽りのない姿をいう。
真実とは是を是とし非を非とすることであって、即ち、仁であり良知に通ずる。
説文の言部に「信なり。言に従ひ成を声とす」とあるように、守るべきを守ることを誠という。
北宋の司馬光が「誠」を問われて「妄語せざるより始む」と答えているように、誠に根ざした時、その言行は必ず一致し、すべてが信ずるに足るようになるのである。
誠は言+成。
成は戈(ほこ)にたれ紐を示すl(こん)を加えたもので、制作が終わってお祓いをすること、即ち、制作が成就したことをあらわす。
言は辛に口で、辛はきれめをつける刃物をあらわし、口は祝詞を収める器の形。
誓いを破った場合には入れ墨の刑を受ける、という誓約を述べることを意味する。
したがって、「誠」は誓約が成就することになるので「偽りなきもの」という意味になる。
備考
誠は「言を成す」ではなく「言が成る」とする方がより真に近いかもしれない。
言は「誓約を述べる」意と共に、「違わざることを約して神前に供え、神意の降下を待つ」行為自体をも意味するという。
神意の至るを待つ人は、敬い慎んで侍す。
その侍する姿が偽りなく真実であるならば、遂には神意に適って「言が成る」。
自然の帰結が誠であり、人為の結果はそこに存在しない。
なお、説文解字には誠を以て「信なり」とするが厳密には違う。
信は謹み敬して侍する姿、心持ちであって、「言が成る」かどうかはまだ分からない状態である。
それに対して、誠は謹み敬して侍し、それが認められて成る状態である。
「信じる」のは未確定のものに対してだが、信が実れば信実となり、それは事実となる。
そして信が事実である場合を誠といい、誠が実って誠実という。
誠実は真心の意に用いられるが、それは真の心そのままであるからこそ、神意に適うを以ての故であろう。
世界大百科事典 第2版の解説
せい【誠 chéng】
中国思想の概念。偽(いつわり)の対語で,うそいつわりのない言行をいうが,この語が哲学的概念として登場するのは《大学》《中庸》においてである。《大学》では〈格物〉〈致知〉〈誠意〉〈正心〉〈修身〉〈斉家〉〈治国〉〈平天下〉のいわゆる8条目の一つとして,《大学》の一翼をになっている。《中庸》では,前半で〈中庸〉が説かれるのに対し,後半は〈誠は天の道なり,これを誠にするは人の道なり〉という有名な句にはじまって,もっぱら誠を中心に議論が展開する。
まこと【誠】
和語の〈まこと〉は,〈事〉〈言〉に接頭語の〈ま(真)〉が付いたもので,〈本当のこと〉〈真実の言葉〉の意である。上代では,言と事は未分化であったから,〈まこと〉は,そのいずれにも通じる言葉として用いられた。心の〈まこと〉すなわちいつわりない忠実な心,誠意という意味での〈まこと〉の用例も存在する(《日本書紀》崇神天皇紀)が,この用法が一般的であったか否か確証はない。ただし,《続日本紀》宣命(せんみよう)に〈明き浄き直き誠の心〉とあるように,倫理的な色彩をともなう言葉としても古くから使われていたといえる。