人生50年の時代は人生100年の時代になるか、それは難しいようだが、人生70年の時代にはなりつつある。平均寿命でもなさそうだ。生きる年齢には違いないから、早く死ぬ、早生が多かった時代に10代から50年だった、と考えると、いまは20代から50年となるだけで、人生50年も、人生70年も変わりがない。少しは10代より、20代までの成長が学びに望まれる時代なのだろう。その人生70年の思いからすると、世の中を見渡してなにがしかが見えてきたように思うのが70年の経験なのだろうと思うけれど、先の50年に変わりがないわけで、自分の世代を前の時代と後続の時代とをつなぎ、その世代からものを見て経験を見ようということになる。健康管理が行われて住居の快適さも加えて、地域社会のつながりの中で70代はなお元気なことだ。元気にならない、減る気ではなくて、気力がある。先を見据えて自分の生命力にも、これからは人口減の日本社会にある延長に、産業革命、技術革命、情報革命となるその先には、なにがあるか、いわば知能革命でも起こるのかもしれない。人工知能と言いながら、ビッグデータと計算機の学習は記憶と格納だけではない、考える知能が人間にはあるのである。考えるとはあれとこれ、かれこれに、ここそこのことではなく、人間の記憶回路の瞬時のひらめきによる、いわば、あれあれ、これこれ、あそこにかしこにとなるのである。覇権主義と民主主義と、地域主義と全休主義と、自由至上主義と計画管理主義と、個人主義と調和主義と、戦争と平和と、時空と存在と、現在と過去と、有と無と、自と他と、学力と能力と、生と死と、愛と憎悪と、人と物と、コトとワザと、将来と未来とに考える。
2016年に思う2016年は1946年から70年である。わたしごとで生を得て迎える年の数である。これを機会に思うことは昭和世代と平成世代をまたいだことである、その時代を生きていることである。日本は......