米国大統領が朝鮮戦争で核兵器を使うと脅して、北朝鮮の金日成は戦争をやめた、というふうに語り伝え、その事実はいかが。
>朝鮮戦争[編集]
金日成を指揮官として称える壁画
1950年6月25日、北朝鮮軍は38度線を越えて南側に侵攻し、朝鮮戦争が始まった。北朝鮮軍の南進の理由については、冷戦終結後に秘密が解除されたソ連の資料から、戦争はアメリカとの冷戦のおいて勝機を得ようとしたソ連の同意を取り付けた金日成が、中国と共同で周到綿密に準備し、満州という地域を罠として、アメリカをそこに引き入れようとする国際謀略として企図された北朝鮮による侵略であることが明らかとなった[26]。
当初、北朝鮮軍が朝鮮半島全土を制圧するかに見えたが、朝鮮人民軍は侵攻した地域で民衆に対し虐殺・粛清などを行ったため、民衆からの広範な支持は得られず期待したような蜂起は起きなかった。また、ソウル会戦において猛攻を続けていたはずの北朝鮮軍が突如として三日間進軍を停止するなど、謎の行動を取った。この進軍停止の理由は、一説によると、南朝鮮の農民たちの蜂起を期待していたためともいわれる[27]。しかしこの時間を使って、総崩れとなっていた韓国軍は体制を立て直した。
9月15日、アメリカ軍が仁川上陸作戦を開始すると、北朝鮮軍は一転して敗走を重ねるようになった。開戦直後の7月4日に朝鮮人民軍最高司令官に就任していた金日成は自分の家族(祖父母、子供2人(金正日・金敬姫兄妹)[28])を疎開させた後、10月11日に平壌を脱出し、中華人民共和国の通化に事実上亡命した[29]。
10月25日に中華人民共和国が中国人民志願軍(抗美援朝義勇軍)を派兵したことによってアメリカ軍を押し戻した。しかし、中国人民志願軍及び朝鮮人民軍は中朝連合司令部の指揮下に置かれた。中朝連合軍の彭徳懐司令官は朝鮮労働党延安派の朴一禹を副司令官に任命し、金日成が直接指揮できる軍は限られた[30]。
その後、戦局は38度線付近で膠着状態に陥り、休戦交渉が本格化した。1953年2月7日、最高人民会議常任委員会政令により、「朝鮮戦争における指揮・功績」を認められ、朝鮮民主主義人民共和国元帥の称号を授与[31]。同年6月には休戦が成立し、平壌に帰還した。
妨害物,故障,抑止するもの; (戦争)抑止力 〔to〕.
Punishment is a strong deterrent to crime. 懲罰は強力な犯罪抑止力となっている.
戦争を抑止するもの; (特に)核兵器.
the nuclear deterrent (核戦争抑止力としての)核兵器.
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説
核抑止力
かくよくしりょく
nuclear deterrent
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核抑止の機能を実際に果たす戦力。具体的には大陸間弾道ミサイル ICBM,潜水艦発射弾道ミサイル SLBM,戦略核爆撃機などの核兵器体系があげられる。ただし抑止という概念は本来心理的,相対的なものであるため,抑止力としてなにが十分かということも客観的には決められず,常に相互に作用,反作用を繰り返す傾向がある。アメリカ合衆国とソビエト連邦がともに複数独立目標弾頭 MIRVや弾道ミサイル迎撃ミサイル ABMを開発したのは,核抑止力のこうした根本的な不安を解消できないためであった。冷戦後アメリカ,ロシア両国が戦略核兵器の大幅削減で合意してのちも抑止の概念は生き残っている。