すみません、という挨拶の言葉を、いくどかふれてきたことがある。
謝罪について使うとか、感謝の意を表すとか、それはやり取りで生まれてきたことであるのだろうけれど、もとにある言葉の使い方としては同じだ。挨拶語であるかどうかも厳密を期せば疑わしい。
もっとも挨拶そのものの、禅宗の言葉だというのも仰々しいと感じるが、押して逼る、せまるわけだから、どうすることなのだろう。
すみませんは打消しの語であることをわかっていて使うかどうか、澄む、済むを語とするので、澄まないことだ、済まないことだ、となる。その場をやり取りしてすませる語の使い方ではあるので、双方に情が瞬時に動くから、その気持ちが表わされるということになる。
謝罪に使うすみませんは失敗、失態がともなうから、その関係性は明白になる。
その意味では取り戻すことのできない、すまなさを済むという語でとらえる方がわかりよい。
世界の挨拶語の語源について説明するものには民間で流布するうちに使われだして醸し出す独特のいわれがある場合が多いのでまだ日本語のあいさつはわかりよいかもしれない。わからないと言っては済まないので捉えてみると・・・
すみません、と声を出して言うのは、こちらから相手に向けて、どんな時でしょうか。
何かしくじりをして、その行為を相手に詫びるときに使いますか。
足を踏んづけてしまって、すみません、すみません、と言えば、それは何を伝えているのでしょう。
そのことばを受け取った方は、痛いなぁ、痛いことをして、これはすみませんよ、となって、すかさず、さあどうしてくれる、と言いたくなるわけですが、踏んづけてきた相手から、すみませんといわれてしまったら、そうだ、すみません、どうしてくれるといえなくなるわけです。
ふみつけられて、ふんづけたな、これはただごとではない、ただではすまないぞ、と思っているときに、済まないことをしましたと言われてしまったら、そこに、すみませんね、というやりとりで、そうだ済まないことだ、だからすみませんと言っただろうとなったなら、それは、相手から、すまないことをしましたと思いやられたら、それで一件落着ですね。
この、すみません、という言い方が、もとは、すまぬ、という語が、誰から誰に向けられたか、すまん、済まん、と言えば、その関係性が想像されます。
済まないぞ、とおもっているときに、すまん、すまん、と先取りをされてしまうわけですから、済まん事だった、とすまされてしまうわけです。
その関係性に身分の上下を思い合せれば、下からの関係性で上の相手に、すまんと言うことはまずあり得ないでしょう。
すると、これは上からの関係性を置けばわかる言葉遣いです。
いかにも上から下を思いやったような、すまん、です。
上から下へ、すまんと言っておけば、それですべて終わりしてしまう、つまり、すまないことが起こっていても、済んでしまうわけです。
下から上へ、すまないことですよ、どうにかしろ、と言えないような時代のことです。
どうでしょうか、この使い方について、これを、上下の関係性がなくなって、上が持っていたことばによる思いやりの操作を、誰もが持つようになったわけです。
すみませんと言うことは、相手が済まないぞと思っている気持を、こちらから表現することで、いや、それほどでもないよ、と思わせてしまう、そういう言葉遣いであるわけです。
この挨拶の用い方を、ほかの挨拶で、ごめん、と言うのを応用して考えてみると、また、興味深いことがわかります。
御免、と、上訴します。
御免下さい、と、丁寧に言います。御免下さりますか。
御免下さいませ、と、丁寧に命令します。
御免なさい、と、敬語にして命令します。御免なさりますか。
御免なさいませ、と、敬語にして丁寧に命令をします。
ウイキペディアより
>日本語の「挨拶」は、元々禅宗の用語であった。修行者が互いの修行の成果を質問し合う事によって悟りや知識見識等の深さ浅さを、確認する行為を指す。そこから民間へと広まり、人と会った時にとりかわす儀礼的な動作や言葉・応対などを言うようになった。
一日一語のぺーじより。
>挨拶の語源は、一挨一拶、いちあいいつさつ、禅宗の問答に由来した言葉
「挨」は心を開いて近づく、「拶」は迫る、近づくという意味
挨拶は心を開いて相手に近づくということ
仏教豆知識 - VIVID静寂庵
seijyaku.fc2web.com/mame_1.html
挨拶という言葉はもともと仏教語で、挨は「押す」拶は「せまる」という意味があり、その事から「挨拶は、前にあるものを押しのけて進み出る事」を指す。 禅宗においては、「一挨一拶:いちあいいつさつ」と言い、師が弟子僧へ、或いは修行僧同士が言葉や動作で、 ...
>【挨拶」:あいさつ
挨拶という言葉はもともと仏教語で、挨は「押す」拶は「せまる」という意味があり、その事から「挨拶は、前にあるものを押しのけて進み出る事」を指す。
禅宗においては、「一挨一拶:いちあいいつさつ」と言い、師が弟子僧へ、或いは修行僧同士が言葉や動作で、その悟りの深浅を試す。
これが転じて、私達が日常的に行う、相手への応答や礼儀・親愛の情を表す意味となる。
挨拶(あいさつ) » 一日一生-仏陀のことば
blog.buddha-osie.com/buddha/161/
禅家では、「一挨一拶(いちあいいつさつ)」といって、師匠が門下の僧に、または修行僧同士があるいは軽く、あるいは強く、言葉や動作で、その悟りの深浅を試すことがあります。 これが挨拶なのです。 そこから転じて、現在のように、やさしく、応答とか返礼、儀礼 ...
>「挨」「拶」の漢字のもともとの意味
「挨」・・・「押す」、
「拶」・・・「逼(せま)る」
漢籍(鶴林間道篇)には「士庶挨拶す」と書かれています。
意味・・・「前にあるものを押しのけて進み出る」
「群集が押し合って前に出ようとする」
『盤珪禅師語録』・・・播州の禅宗・龍門寺在住の盤珪永琢という高層の法話などを記録したもの
「一挨一拶」・・・禅のことばとして使われています。
「挨拶」・・・・・世俗的な「あいさつ」の意味で使われています。
挨は「押す」こと。拶は「せまる」という意味から、挨拶は、前にあるものを押しのけて進み出ることをいいます。
禅家では、「一挨一拶(いちあいいつさつ)」といって、師匠が門下の僧に、または修行僧同士があるいは軽く、あるいは強く、言葉や動作で、その悟りの深浅を試すことがあります。
ごめん【御免】の意味 - 国語辞書 - goo辞書
dictionary.goo.ne.jp › 国語辞書
ごめん【御免】とは。意味や解説。1 正式に免許・認可することを、その決定を下す者を敬っていう語。「名字帯刀が―になる」「天下―」2 役職などを解かれることを、その決定を下す者を敬っていう語。「お役が―になる」3 嫌で拒否する気持ちを表... - goo辞書は ...
御免(ごめん) - 語源由来辞典
gogen-allguide.com › 「こ」から始まる言葉
ごめん. 【意味】 ごめんとは、自分の失礼に対して許しを請うたり、謝罪の意思を表すときに言う言葉。他家を訪問した際の挨拶の言葉。拒絶の意を表す言葉。ご免。ゴメン。 【ごめんの語源・由来】. 許す意味の「免」に尊敬の接頭語「御」がついた言葉で、鎌倉時代 ...
切捨御免 - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/切捨御免
切捨御免(きりすてごめん、斬捨御免)とは苗字帯刀と並ぶ江戸時代の武士の特権である。 ... これに対して、日本の切捨御免には支配階層である武士の名誉と威厳を守る事によって武士を頂点とした当時の社会秩序が防衛されると考えられ、こうした観点より切 ...
概要 - 「無礼」とは - 切捨後 - 主従関係と無礼討
天下御免 - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/天下御免
天下御免』(てんかごめん)は、NHK総合テレビジョンで1971年(昭和46年)10月8日から1972年(昭和47年)9月29日まで、金曜日の20時(午後8時)より放映されたテレビ時代劇。平賀源内が諸問題や難事件を解決してゆく「痛快時代劇」 である。
御免祝 とは - コトバンク
kotobank.jp/word/御免祝
スポーツ用語がわかる辞典 御免祝の用語解説 - 相撲で、本場所の初日の1ヵ月前の酉の日か午の日に開かれる、本場所の興行開催が認められたことをお披露目する集会。現在では、マスコミ関係者などを招いて本場所前後の日程などを発表する恒例の集まり ...
御免蒙る とは - コトバンク
kotobank.jp/word/御免蒙る
デジタル大辞泉 御免蒙るの用語解説 - 1 相手の許しを得る。「ちょっと―・って入らせてもらいます」 2 相手の許しを得て退出する。失礼する。「ひとまず―・って出直してこよう」 3 嫌だと断る。「面倒なことは―・る」 ...