現代日本語百科   けふも  お元気ですか

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勘違いしない 憮然

2016-02-19 | 勘違いしやすい日本語
論語に出てくる表現である。漢語であるから、その用例をもって意味内容をまず知るとよい。もっとも然字がつく熟語は、自然天然と、全然難しいし、日本語に取り入れてからの意味の変遷があったりもする。漢字をどう見たかがわかる。日本国語大辞典の用例を見るとよい。夫子撫然曰、鳥獣不可与同群 とみえる。論語‐微子にあるなら、学習の書である。文明論之概略、福沢諭吉 にも見える。その項目の語釈には、>意外な出来事に驚いて茫然とするさま。また、失望したり、どうしようもなかったりしてぼんやりするさま。 また、憮の字を字通によってみる。>訓義 [1] いつくしむ、めでる、いたわる。 [2] かなしむ、うれえる、おもう。 [3] 失意のさま、茫然とする、おどろく、あやしむ。 茫然自失の、茫然と同じくするようであるが、驚くさまでもある。 . . . 本文を読む

連語論

2016-02-19 | 日本語文法
連語について、語の連なり、短句、そして共起と言い換えることがある。共起はコロケーションである。連語はまた慣用句として知られる。日本語文法はさらに複合辞とする。それを連語論となると、少し違う様相となる。それは日本語文法で連語論を位置づける。わかりやすくとらえれば、一冊の書に行き当たる。その書評を引用しておくとわかりよい。 http://db3.ninjal.ac.jp/SJL/txtview.php > 第140集1985-03-30 著者:仁田義雄; タイトル:言語学研究会編『日本語文法・連語論(資料編)』を読んで . . . 本文を読む

インターネット

2016-02-18 | 現代日本語百科2025
インターネット・プロトコル技術を利用してコンピュータネットワーク間の相互接続を行うことにより実現されるネットワークのこと、とある。一般名詞の、インターネットワーク internetwork で、本来の意味は、ネットワーク間のネットワークや複数のネットワークを相互接続したネットワークである、となるが、固有名詞として、ARPANETを前身とする特定の世界的規模のネットワークを指す場合がっあて、日本語で、インターネットと呼ぶ場合は、固有名詞の意味である場合が大半である、と、ウイキペディアは解説する。 . . . 本文を読む

勘違いしない  檄

2016-02-18 | 勘違いしやすい日本語
檄は、檄文である。檄文は、召し文である。招集をかけた、そときに、飛檄と用いたか、その語がある。急ぎの文書である。檄を飛ばすには、古代中国で、召集または説諭のための文書、木札を用いたという、その檄と、檄文には、相手の悪い点をあばき、自分のすぐれている点を述べて、世人に同意を求める文書だと、現代では、一般大衆に自分の主張や考えを強く訴える文章となったとする。さきの、めしぶみ、さとしぶみ、に対して、ふれぶみ という。日本国語大辞典による。檄文飛び交うことなく、応召することもない、この時代に、現代でのその場面はスポーツの試合観戦か。激励を与えるとでもしてその語を使えば、飛ばすところに勇猛果敢がありそうで、誤解されそうである。そう思って、監督が檄を飛ばす、といれて、検索すると、ある、あるのである。文化庁の文例であった。これには、しゃれにもならい。 . . . 本文を読む

勘違いしない さわり

2016-02-17 | 勘違いしやすい日本語
本のさわりだけを教えてあげてほしいと書いてあるので、そのさわりを書いている。勘違いしやすいと言うのは、勘違いをさせる調査結果のことであって、この本はそれをまとめている。日本語の使い方がわからなくなるとするのは年代によってのことでもあり、教科書的に学ぶことのない日本語は社会的な日本語の場面で学習していくものであるから、それをもって使い方が変わったなどと早急な結論めいたことは勘違いも甚だしいのである。さわりについて、話の要点と最初の部分とを対比して聞く質問にあるようなことでは、楽曲のことを聞いているのかなんだかわからない。サビと言う語の関連でいえば、この質問はまるでサビ抜きである。さわりは、サビとも言った。聞かせ所、見せ所である。さわりは曲の調子が変わることによって取り入れた部分である。音楽のサビには、頭であったり、まんなかであったり、落ちであったりするから、さわりだけを聞かせるのははじめであってもよい場合がある。 . . . 本文を読む

インターネット用語

2016-02-17 | 現代日本語百科2025
インターネット用語を並べる。インターネットとあるのは、11の語におよぶ。インターネット・プロトコル技術を利用してコンピュータネットワーク間の相互接続を行うことにより実現されるネットワークのことである、と見える。そして、Internet Protocol インターネット・プロトコル、IP  とは、インターネット・プロトコル・スイートを使ったインターネットワークにおいてデータグラム(またはパケット)を中継するのに使われる主要な通信プロトコルである、となる。 さらに、インターネット・プロトコル・スイート(英: Internet protocol suite)とは、インターネットおよび大多数の商用ネットワークで稼動するプロトコルスタックを実装する通信プロトコルの一式である。 インターネット・プロトコル・スイートは、インターネットの黎明期に定義され、現在でも標準的に用いられている2つのプロトコル、Transmission Control Protocol (TCP) とInternet Protocol (IP) にちなんで、TCP/IPプロトコル・スイートとも呼ばれる。今日のIPネットワーキングは、1960年代と1970年代に発展し始めたLAN (Local Area Network) とインターネットの開発が統合されたものである。それは1989年のティム・バーナーズ=リーによるWorld Wide Webの発明と共にコンピュータに革命をもたらした、ということである。 . . . 本文を読む

勘違いしない 天荒

2016-02-16 | 勘違いしやすい日本語
破天荒について、天荒の意味内容を知れば、天に荒れる地を破ったことになる。 いわば開拓者である。 それをまた、故事成語にする破天荒ともなると、それは喩えの用法である。 破天荒な人となれば、その質問が、いつも適切とは言えないが、勘違いをした問いかけである。 自分の人生を振り返り、破天荒だと、言えば、言われれば、それはまた、よほどのことがないかぎり、何かをしでかしたと、連想するしかないだろう。 日本語の天と荒れるが組み合わされば、それをまた破ると言ってしまえば、この日本語の感覚はいかんともしがたい。 破天荒な出来事だったとでもいえば、そこに何かがあると感じて、意味内容を確かめることにもなろう。 破天荒と自らを称するなら、人からそう言われるようなことを、成し遂げたことになる。 科挙と言い、受験と言い、それが破天荒につながるとわかれば、連想もそこまでどまりである。 . . . 本文を読む

コンピュータ用語

2016-02-15 | 現代日本語百科2025
コンピュータについて、オックスフォード英語辞典第2版で、機械的な計算装置を指す言葉として使われた最初の年を1897年と記しているようである。電子計算機と訳して言うときには、それまでに使われていた、異なるタイプの計算機を区別する修飾語句があり、analogue、digital、electronic などとしていた。それは1946年以前とする。すると。コンピュータが、今日、使う語として盛んであるのは、およそ半世紀余のことであることになる。>アナログコンピュータが「量」(物理量)によって計算を行うのに対して、デジタルコンピュータは、数値(英語: digital/ディジタル)より計算を行う、という、違いがある。そのコンピュータの用語を一覧すると、すべてにわたって、目の前にある、操作を実現するものである。>入出力(I/Oとも言う)はコンピュータが外の世界から情報を得たり、計算結果を外に送り返したりすることを可能にするためのものである。外部から見て、コンピュータに情報を送ることを入力、逆にコンピュータから情報を得ることを出力という。 入出力には、入出力インタフェースを介して、入出力装置(I/O装置)が接続される。入出力装置としては例えば、キーボード、マウス、スキャナ、モニタやプリンター、磁気ディスク装置、光学ドライブ装置、ネットワークインタフェースなどといった馴染み深いものから、3次元ディスプレイやデータグローブといったものまで、幅広いものが存在する。 入出力装置は、主として入力を得るためのもの(キーボード、スキャナなど)、出力するためのもの(モニタ、プリンターなど)、入力と出力を兼ね備えたもの(磁気ディスク装置、インタフェースなど)に大別することができる。ウイキペディアより。 . . . 本文を読む

勘違いしない 枯れ木のにぎわい

2016-02-14 | 勘違いしやすい日本語
ないよりはましと言うほどのことだったろうに、枯れ木が、つまらないものとなってしまったのはなぜだろう、どうしてだろう、いつからだろうか。枯れ木を老人に喩えて若者に交じることに、謙遜で使われる、それを敬語の用法が反転して、にぎわうことが強調される。枯れ木に風景、枯れ木の用途、枯れ木の味わい、枯れ木の生命とでも言い出したくなる。10年を経ての調査に、使い方が変わって来たような捉え方であるが、それはそうではなくて、人が集まる様子の意味内容をしっかりと表現としているとのことだから、むしろ、勘違いを起こした説明にしてしまうのは、勘違いを起こしやすい。なぜなら、本来の意味で使う人々は、10年前も今も変わらないのである。枯れ木も山の賑わいと申しますから、と、老人が言うのを耳に残したに過ぎない。もっとも、最近には、高齢者は枯れ木にはとても見えなくなってきているようで、この表現効果は微妙な意味合いになりつつある。 . . . 本文を読む