平和の俳句について、また思う。その一句は、投稿者の年齢を(80)と示している。ちょうど、16日付で、優秀句百選、7・8月分が掲載されている。眺めていて、かな文字の句、さつきばれせかいへいわなごみひろい というのがあって、年齢が8歳であった。それで、見ていくと、60代以上の年齢による、その投稿は10代、50代が3人、30代と100選に入っているのは数えるほどである。そして10代が、6人続いた。この投稿は総評では、学校で取りまとめた句が数校あったということであるから、その偏りを見せた。俳句を詠む年齢にはそれ相応のこともあるだろうけれど、ちょっと驚いた。多くを占める80代、90代の作句には、そこに交錯する時代が見える。平和を詠むのは俳句だけにむずかしい。新聞社が主宰する立場と見れば、その平和の側の雰囲気を伝えようとする、戦争の句は成り立ちようがない、俳句に現れる言語の機微に、平和、戦争を季語にすることはないし、平和と戦争には諧謔はあり得ないが、如何に自由律の短詩型の文学であるとして、戦争の句だけは、その時代のことである。 . . . 本文を読む
じしゅく は、自粛ではない。自ら祝うである。祝日法かなにかで18日になるとのこと、15日がどうだということではないが、その趣旨には、多年にわたり社会に尽くしてきた老人を敬愛し、その長寿を祝うとか。辞書によれば、>1963年以来老人福祉法で敬老精神と老人福祉への関心向上のため〈老人の日〉として定められていたのが,1966年国民の祝日として改称制定。百科事典マイペディアより 老人の日の敬老精神、老人福祉のためとあったから、その由来には、何かありそうである。高齢社会となると、後期高齢者敬老が正しくなりそうであるが、このわたしにも、町内会から敬老の日の袋が届いて、中には絵柄の切り飴が入っていて、これを名古屋市では全世帯に配っているらしい、ありがたく思う者の、古希を過ぎて、一向にその実感がないのはどうしたことだろう、というので、まだ先の免許更新になる頃、それには認知検査を受けることになっているので、いま手にしたゴールド免許証がどうなっているものかはわからないけれども、何歳から老人となるかの議論は、その当人にはないのである。散髪に出かけて、シニア料金1600円という特典かなと思えば、その店での普通料金との差は200円であったから、散髪料金の3500円からすると、世の中の半人前の値打ちとなる見かけである。 . . . 本文を読む
組織を使って、組織で議論をする、となると、何のことかわかる向きには組織人間である。組織人ということが言われて、組織人間とどう違うかということになるが、言葉での違いは、組織人には社会学用語であるということぐらいだろう。ただ組織人間には種類があって、集団をなしている種類をあげたりするものがある。それでいうと、集団で行うための論理を作り上げて、組織が決定をしなければ、集団行動が崩れるというものである。そこにいるエイリアンと呼ばれる人が、時には組織能力の柔軟性を持たせている場合がある。日本の組織では排除されるのが常であるから、その集団にとっては異端者となって、組織でモノを言うという状況が作られることになる。多くは多数でいう、組織にあるその集団を代表して、その議論の根回しをする必要があったりする。 . . . 本文を読む
平和は行く、平和俳句と入力をしたら、変換に出たのが、行くということだったから、メモリー変換を考えてしまった。まさに平和は往くのかもしれない。さて、2015年1月1日から1日1句を朝刊1面に掲載し、平和の俳句とした新聞社のコラムによるキャンペーンであった。それは、みなさんはどんなときに平和を感じますか? と、戦後70年をきっかけにして、撰者がいて、投稿された作品を掲載している。9月15日は、次の作品である。> 雲の峰我れに戦死の教え子無し 岩辺泰吏(74) 東京都足立区 <いとうせいこう>直接担任した子供たちだけで千人を超えるという元教員。教職五十周年に戦死の教え子がないのが誇り、日本中の教員の。そうか、なるほど、実年齢からの検算は合わないかもしれないが、24歳から教員をしているか、20年前に退職したか、いずれでも、その50年というのは、というふうにしても、わたしの経験で教え子にも戦死者がいるわけではないので、この年代ではすべての教員がそうだと言えるようなことで、はて、と思ってしまうから、戦後18年で教員であるとすれば、ベトナム戦争のころである。その子供たちに戦死のことがあるとするなら、思いは複雑なことである。子が、も となるといかが。
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グレインは、cereal と出て、言い換えのように見えて、片仮名の語となっている、シリアルフード、穀物である。五穀豊穣ということを、古来、用いてきているが、その五穀は、日本では、いつつのたなつもの、あるいは、いつくさのたなつもの、と言ってきた。その内容は一定しない。現代は、米、麦、粟・豆・黍、または稗を指すことが多い。 . . . 本文を読む
またミサイルが発射された。国民保護の情報が7時1分にニュースの中でJアラートとともに出された。その緊急避難の要請は関東から東日本の全体に及んだ。7時6分、あとで分かったことに、北海道上空を通り、太平洋に向かったということと、7分になって、日本本土の危険、影響がすぐにもないことが伝えられた。北海道の沖あい襟裳岬より2000キロに落下したと日本政府が発表して、真っ赤な枠取りのテレビ画面に続けて出ていた、国民保護の情報はその危機を情報問いsて伝える役目は、前回の飛距離より遠くに落ちて、当面、終了した。日本へ向けたものであるかどうか、グアムに向けていればそれを通過してのことであるから、米国本土に向けた弾道ミサイルであるということになる。いずれにしても13日ニュースから発射準備になりつつあるとのことであったから、よく考えてみると、事前探知、発射の実行と、思惑通りに進んでいるから、これは軍事作戦である。 . . . 本文を読む
調和を宗とすれば協同一致が必要である。そこに協調がある。いまや平和を求めて国際協調が唱えられる。日本の協調社会は、古くに、普請があった。この、ふしん には、土木建築工事の意味変化が起こっているが、
>端的にいえば互助活動や相互扶助や自治としての建設、修繕、模様替も含まれる、の為の労力や資金の提供を求める事をさす。建設と言う言葉自体が明治時代に外来語を翻訳した時に出来た和製熟語でありそれ以前は普請と言った。
という解説を、さらには、
>普請は仏教用語で、ふしんの読み仮名は禅宗が伝えた為、唐音が使われる。類語に勧進(かんじん)がある。
意味
普く(あまねく)人々に請う(こう)ことであり、禅宗の信者が力を合わせて作業に従事するという意味であったが、後には寺社普請としてまたは、集落において受益者が合意して作業に従事することも指すようになった。
と見える。普請奉行の役職があり、町屋普請、 寺社普請など、普請そのものを協力者の集まりとすることがある。 . . . 本文を読む
国際社会はグローバル社会となった。どちらも、ものはいいようで、インターナショナルが地球規模社会という、インターというかかわりが一つ地域としてのつながりとなる。国と国とのボーダーがラインとなる国境を地続きで持つ国の国際は、絶えず持つ課題にがあるに対して、日本はその国際化を叫ぶ時期が現れてきた。それを証拠づけるものには、自治体による国際交流協会を時間軸で見るとわかる。地域で国際交流をする、その必要性が生まれてきて、それは外国からの友人、知人が、また観光客が訪問をしてきたときに、個々で人の交流を超えたところで、文化にかかわる受け入れ方にお対応するためである。そこにそぐわないが、異文化コミュニケ―ションのことをテーマにして、さらにすすめて、文化の共生を唱えて活動をする時代が始まっていた。外からの国際化が内なる国際への歩みと代わって、それを担う団体が公的な機関によってつくられるという状況である。そこに機能するひとも場も、そしてそのものが地域ごとにない、なにをかというと、言ってみれば案内をしてくれる、よそ者をおいてくれるところがないのであるから、そういう国の風土である。それが国際、グローバルとなって意識を変えてきたのには、アメリカ文化という、一口では言い表せない、その影響である。 . . . 本文を読む
有機体のこととあって、はて、それがどうかな。有機肥料は何か。オーガニック食品というと、農薬、抗生物質、成長ホルモン、合成添加物、保存料を使用していない、それも3年以上にわたってのこと、栽培または加工されたものであるが、さて、有機肥料とは、動物性、植物性の肥料で、 堆肥、鶏ふん、牛ふん、骨粉、油かすなどとなって、これを肥料とするとは、また肥料というには、少し飛躍して、例えば、野菜を育てるために必要な肥料は、チッソ、リンサン、カリウムなどがあって、葉や茎が生育するために必要な肥にチッソ、花や実をつけるために必要な肥料にリンサン、根が大きくなるために必要な肥料にカリというのがあって、それとこれとがどう結びつくのか。そこでまた、有機野菜とは、無農薬で有機肥料を使って育てられた野菜となるので、化学肥料、合成肥料との違いがあるらしい。 . . . 本文を読む
独立か自立か、独立はひとりいること、自立はひとりになること、あるいは、ひとりでいること、としていくと、独立はひとりであることともなる。独立を自立と合わせて考えると、日本は独立も自立もしていない。独立する国家は、従属している国家ではないから、日本がいつ独立をしたか、近くは1952年に独立をしたという経緯があって、それをよくとらえなければならない。日本は独立することなく、自立してきた。自立国家であるが、その自立には、自律の意味内容になる。日本が国家を宣言することはなかった、さきの占領軍の支配を逃れることで独立国となったということはあるが、それは連合国による支配が米国の支配に替わったという現実がある。その状況を、わたしたちは、自覚できない。しかし、そこにあるのは自立の国家として歩みを続けていることである。近代の国家としての成立は、その自立を遂げたもので、さかのぼれば、冊封を受けなかったことによる自立があった。それはまた、そうではあっても、朝貢はなくとも絶えずその脅威にひとたびあうことおいては、自律を遂げていく歴史であったから、大和であり日本であり、いずれも、それは、やまと であったのである。 . . . 本文を読む