長雨に遮られて、やることがない。
暇人の愚考に、お付き合いをいただきたい。
家の壁に、だんごむしがいた。
だんごむしのミイラかなと思って、しばらく眺めていたら、向きを変えたり、位置を変えたりする。
どうやら、生きているらしい。
幼少の頃住んでいた、信州では、まめむしと呼んでいた。
まめでも、だんごでも、大小の差を除けば、そう、変わりはない。
まめむしを見つけると、指先で追いかけて、丸くならせて、手のひらで転がらせて、遊んだものだ。
遊び飽きると、地面に降ろして、やがて、はいずり始めるまめむしを見て、
なんとなく、ホッとした気持ちを、覚えている。
安全な場所では、何の動きもなく、長いことじっとしているが、土手で草取りをしているときに、
だんごむしを引きずり出すことがある。
眠りを妨げられたのか、大慌てで、駆けずり回るだんごむしは、意外と、すばしっこい。
もっとも、このくらいのすばしっこさがなければ、蟻や、蜘蛛との生存競争に勝つことはできまい。
東大の、茅総長が、卒業生を前に、教えていたそうである。
諸君は、社会へ出たら、太った豚になるなかれ。
瘦せたソクラテスになるべし。
仮に、mcnjがその場にいたら(いるはずはなかろう)、こう言いたい。
諸君は、セコセコ動き回る、尖ったあしなが蜂になるなかれ。
じっと構えている、丸いだんごむしになるべし。
世界人類が、だんごむしの精神を学んで理解したら、ミサイルや核兵器は、無用の産物と化して、
世界中の摩擦も、丸く収まるであろう。
降りしきる長雨の中、だんごむしから、色々学ばせて貰った一日であった。