センセーショナルなタイトルにしてしまったが、別に、個人的に恨みがあるわけでは無い。
岡田でも、江田でも良かったが、出来るだけインパクトのある方を選んだ。。
なるべく、多くの人に、関心を持ってもらえたらと思って、利用させていただいたに過ぎない。
同じ町内の幼友達、○田の一番上の兄に赤紙ガ来た。
勿論、当時、国民学校1年だったmcnjに、赤紙の詳しい意味がわかるはずが無い。
それでも、赤紙が来た者にとって、非常に深刻なものであったらしいことは、なんとなくわかっていた。
Wikipediaには、次のように解説してある。
皆さんも、ぜひ、この機会に、調べて見ていただきたい。
赤紙:大日本帝国憲法の徴兵制に基づいた召集令状によって発せられる通達書である。
召集とは、その地域の最高権力者が命じて、召し上げる(自分のものとして呼び集める)集人命令のことである。
召集者は、当然のことながら、大日本帝国の最高権力者、天皇である。
日本国憲法における自衛隊は、召集ではなくて、招集を使う。
召し上げるではなく、招くと言う意味である。
ちなみに、日本国憲法国会においては、唯一、例外的に、召集が使われている。
文献、PC変換で、召集が目に止まったら、それは、誤字、誤り、認識不足、PCの故障である。
召集令状には、召集の目的により、赤、白、青の用紙が使われた。
赤紙が使われた召集は、
充員召集、臨時召集、帰休兵召集、国民兵召集、補欠召集であった。
徴兵は、20歳以上の男子で、戸主、家業主宰者、学徒を除くものが、対象とされ、20歳になると、誰もが、徴兵検査を
受けさせられた。
検査結果により、甲乙丙丁戊に区分され、最も壮丁な甲が重用された。
太平洋戦争末期には、9割以上の該当男子が徴兵されたが、それでも足りず、徴兵年齢を19歳まで引き下げたり、文系学徒に、自主的い応募させたり、女子挺身隊の名のもとに、女子学生も徴用された。
赤紙は、郵便ハガキにたとえられ、当時のハガキ切手が一銭五厘であったため、いつでも赤紙一枚で補充がきく兵は、
一銭五厘とたとえられた。
○田の兄が、赤紙を受けて、いよいよ、出征と言う時に、mcnjは、母親に連れられて壮行に行った。
町内の有力者、教師、などが、入れ代わり立ち代わり、壮行の辞を述べた。
どの演説も、行って、お国のために尽くせ、立派に陛下のために死んでこい、と言うような内容であった。
○田の兄の両親も、極力深刻な表情を抑え、息子は、名誉ある甲種合格で、戦場に行くと言うような挨拶をしていた。
最後に、○田の兄が挨拶したが、最後の方は、言葉にならず、お母さん、それでは、行って、、、、、と号泣してしまった。
周りの者たちも、急にに黙りこくって、軍服を着て、陛下から賜った鉄砲っを担いで、去って行く○田の兄を見送っていた。
普通なら、勝って来るぞと 勇ましくウ~~と、大声で歌って送り出す所であるが。