5年前の過去ログである。
幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶である。
あの悲惨な戦争を知らない世代が、ほとんどになってしまった。
知らないままに、政治が行われている恐ろしさを、今こそ、思いしめなければならない。
虱。
皆さんは、この字をお読みになれるだろうか。
今では、死語の様な漢字であるが、あの頃は、毎日、当たり前の様に使われていた。
虱に、血を吸われると、発疹チフスと言う、恐ろしい伝染病に罹り、死ぬことも多かった。
進駐軍が学校にやって来て、まず第一に行ったことは、生徒たちを校庭に並ばせて、防毒マスクを被った米兵が、白い粉\を、体中に浴びせることであった。
虱を退治するためである。
特に、女子生徒の頭には、入念にかけていた。
男子生徒は、全員坊主刈りであったが、女子生徒は、髪が長かったからである。
首筋から、下着の中まで、噴射させられた。
白い粉は、DDTと呼ばれる化学物質で、化学構造は、ベトナム戦争で使われた、枯れ葉剤と同じ様な構造で、毒性の
強い物質であった。
各家庭にも配布され、畳の下から、箪笥のなか、天井裏にまで散布させられた。
後には、もっと毒性の強い、BHTと言う物質まで散布させられた。
嫌な臭いでは無かったが、刺激の強い、化学臭のするものであった。
生徒たちは、そんな物質を、たっぷりと吸い込まされたものであるが、今から考えると、よくも、体に
変調を来たさ無かったものだと思う。
進駐軍としては、多少やばいと思っていても、どうしようも無い、切羽詰まった状態だったのであろう。
虱が、ほぼ根絶されるまで、数年以上かかったと思う。
当時の、日本国民とどうよう、虱も、戦争の被害者であった。