昨日に続いて京都の写真だ。このときは、私の師匠の故南口繁一九段の入院されている病院にお見舞いに行って、それから初詣に出かけることにしていた。師匠は脳梗塞で倒れられて、亡くなるまで10年寝たきりの闘病生活だった。帰るとき、いつも私の腕を掴んで、涙を流して、手を振ってくれた。明朗快活な先生だったので、話すことが出来なくて歯がゆかったと思う。
村山聖を弟子にするとき、師匠にお願いと報告にいった。その後でご迷惑をかけることになったが、常に私をかばってくれた。そして信用してくれた。
村山君の着ているセーターは懐かしい。村山君は暑がりでシャツしか着ないので、このときは無理やり着せたように思う。
今、自分が大勢の弟子を持って、悲しいかな、何ひとつ思いが伝わっていない気もするが、師弟とはそういうものなのだろう・・かすかに師匠のうるさい声が聞えてくれば本望だ。
村山聖を弟子にするとき、師匠にお願いと報告にいった。その後でご迷惑をかけることになったが、常に私をかばってくれた。そして信用してくれた。
村山君の着ているセーターは懐かしい。村山君は暑がりでシャツしか着ないので、このときは無理やり着せたように思う。
今、自分が大勢の弟子を持って、悲しいかな、何ひとつ思いが伝わっていない気もするが、師弟とはそういうものなのだろう・・かすかに師匠のうるさい声が聞えてくれば本望だ。
くれる弟子がいると云う事は幸せな思いでしょう。
弟子にとっては 師は青春の想い出そのものです。
昔の将棋界のしきたりとか面子とかは
今は語られることもなくなり…
なつかしい思いがいたします。
村山さんのいいお写真ありがとうございます。
次第に弱ってこられましたが、握手するときの力はいつも強かった記憶があります。帰るときはいつも泣いておられました。
お会いできなくて残念でしたね。弟子の話で長くなってしまいました。
さみしいけれど時代の流れでしょうね。私の場合は村山聖に救われているような気がします。いろんな面で無力感が募りますが、それでも淡々とこなしていきたい気持ちです。