森信雄の写真あれこれ

日々の生活や散歩、旅の写真を掲載しながら、あれこれ思いを語ります。

村山聖 18歳②

2007-12-17 23:27:24 | 村山聖
 昨日に続いて京都の写真だ。このときは、私の師匠の故南口繁一九段の入院されている病院にお見舞いに行って、それから初詣に出かけることにしていた。師匠は脳梗塞で倒れられて、亡くなるまで10年寝たきりの闘病生活だった。帰るとき、いつも私の腕を掴んで、涙を流して、手を振ってくれた。明朗快活な先生だったので、話すことが出来なくて歯がゆかったと思う。
 村山聖を弟子にするとき、師匠にお願いと報告にいった。その後でご迷惑をかけることになったが、常に私をかばってくれた。そして信用してくれた。
 村山君の着ているセーターは懐かしい。村山君は暑がりでシャツしか着ないので、このときは無理やり着せたように思う。
 今、自分が大勢の弟子を持って、悲しいかな、何ひとつ思いが伝わっていない気もするが、師弟とはそういうものなのだろう・・かすかに師匠のうるさい声が聞えてくれば本望だ。
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6 コメント

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トタン屋根のねこ様 (モリノブ)
2007-12-19 16:28:16
 昔の将棋指しの時代から、棋士の時代になって、そして世代も移り、ずいぶん変わったなあと思います。師弟関係も薄くなっていくような気がします。
 さみしいけれど時代の流れでしょうね。私の場合は村山聖に救われているような気がします。いろんな面で無力感が募りますが、それでも淡々とこなしていきたい気持ちです。
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norisanZ (モリノブ)
2007-12-18 19:50:58
 名古屋の棋歩支部の皆さんには、お世話になりました。よろしくお伝え下さい。
 お会いできなくて残念でしたね。弟子の話で長くなってしまいました。
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内藤様 (モリノブ)
2007-12-18 19:48:51
 私の師匠は10年寝たきりでした。奥様の看病も大変だったと思います。
 次第に弱ってこられましたが、握手するときの力はいつも強かった記憶があります。帰るときはいつも泣いておられました。
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師匠 (トタン屋根のねこ)
2007-12-18 19:26:25
師匠にとって こうしてずっと想い出話を語って
くれる弟子がいると云う事は幸せな思いでしょう。

弟子にとっては 師は青春の想い出そのものです。

昔の将棋界のしきたりとか面子とかは
今は語られることもなくなり…
なつかしい思いがいたします。

村山さんのいいお写真ありがとうございます。


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お会いできずで残念! (norisanZ)
2007-12-18 14:02:10
先般名古屋棋歩支部へお見えになったとき、いつもその会へ出ているのですが、たまたまその時は、中山則男先生らの訪中団に参加してまして残念でした。お弟子さんに関してのいい話が聞かせていただけたと友人から後で聞かされまして、いまさらながら残念な思いが!又の機会に楽しみを残しておきます。
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寝たきり (内藤)
2007-12-18 09:24:50
先生の師匠も脳梗塞だったのですね。私の師匠も脳梗塞でした。ただ、倒れて1年ほどで天国へ行ってしまいました。弔辞の間、涙が止まらなかったことをおぼえています。もう13年になります。
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