下国井町(36°25'22.9"N 140°26'03.4"Eあたり)
春日天満神社(春日神社の境内社です。 下国井町1574)のお札が、道路の分かれ道にある庚申供養塔の隣に立てられています。水戸には道祖神がほとんど見られませんが、こうした、お札、庚申塔、また、猿田彦碑などが、似たような役目を果たしてきたような感じがします。
飯富町
道路側にある屋敷神の周囲に、大井神社のお札が3本立てられていました。それぞれ、春祭、御田植祭、秋祭のお札で、お祭りごとに立てているようです。
下入野町(36°19'07.7"N 140°31'13.9"E)
ここでは1本の竹に、長福寺と鹿島神社のお札が付けられていました。長福寺は、「大般若経牘(だいはんにゃきょうとく) 塩崎山」とあり、鹿島神社は「鹿島神社太告刀祈攸(ふとのりときゆう)」とあります。「牘」は札、「太告刀祈攸」は立派な祝詞(のりと)を祈るところといった意味のようです。たぶん立てた人が長福寺の檀徒でかつ、鹿島神社の氏子なのでしょう。
稲荷神社(飯富町3436-5)
稲荷神社の鳥居のところに、新旧のお札が立てられています。この神社自身の「正一位稲荷神社」と大井神社のお札のようです。たぶん、この神社は大井神社が管理しているのでしょう。こうして見て歩いていると、何年も経ってもしっかりと残っている和紙でできたお札の丈夫さに改めて感心します。神社は、信号のある十字路の角にあります。
谷津町(36°24'52.3"N 140°21'30.3"Eあたり)
神社から少し離れた場所に木葉下の香取神社(木葉下町1)のお札が立てられていました。神社の側からすると、信仰範囲の表示でもあるのでしょう。
加倉井町(36°23'44.1"N 140°23'05.8"Eあたり)
加波山神社の「加波山神社 村内安全御璽(ぎょじ)」と刷られたお札ですが、これも分かれ道のところに立てられています。ここには、2体の子安観音がお堂(写真左)の中に、その外側に牛馬頭観世音碑等があります。
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