12月8日 ことはじめ
目籠(めかご)を戸外に高く立てて、疫病神の侵入を防いだそうです(写真上)。賽の目に切った豆腐やにんにく、ネギをヒイラギの小枝に刺して入口に飾ったりもしたそうです(写真下 これはヒイラギに何も刺していません。小林町で見ました)。ことはじめは、正月の準備を始めるという意味のようです。写真上は茨城町で見たことはじめの目籠です。
12月13日 すす払い
江戸時代に、江戸では、すす払いのときに女性を胴上げするという習慣があったそうです。水戸でも、資産家の家では行われたようで、歌をうたって胴上げしたと、「常陸の国水戸領風俗問答状」にあるそうです。歌を歌うのも江戸様だそうです。
12月24日 門松
立原翠軒が書いたという「水戸歳時記」には、この日に門松を立たてたとあります。現在は28日(「上大野の今と昔」)にもおこわれているようです。水戸歳時記では、「根より切りたる松」とありますが、現在、清酒一品の吉久保酒造では、根のついた松が飾られています(写真上)。質実を大事にした水戸では、門松は一般的に質素だったようです。門松は神様(歳神(としがみ)や先祖)が来るための依代(よりしろ)や目印だったようです。
12月28日 餅つき
29日の9(苦)の字を避けて、末広がりの8の日に餅をついたようです。柳河町では、餅つきが終わると臼を伏せてしめ縄を掛けて門の前に置いたそうです(「柳河の今と昔」)。申餅(さるもち(たぶん去るを忌んだのでしょう) 申の日)、苦餅(29日)、宵餅(31日 前日を嫌ったようです)といって、それらの日を避けた避けた(「大塚の民俗」)という地区もあるようです。写真は三湯神社(三湯町57)で見た鏡餅です。
12月31日 大晦日
お盆と同様、ツケでその年の半分の期間中に買った品物の代金を、支払う期日だったそうです。元日のための「くいつみ」(正月料理)を準備し、神に供える餅を飾り、元日に汲む若水のために、井戸へ屠蘇散をつけたりしたそうです。日暮れとともに元日が始まると考えられていて、大晦日は眠らず、火も絶やさなかったと、「柳河の昔と今」にあります。年越しソバ(「上大野の今と昔」)も広く食べられていたようです。
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