お井戸権現
文明4年(1472)は干ばつで、城主の見川氏が神社で祈ったところ、八大龍王があらわれ、城の南西に清水の湧き出るところがあるので、その水を使えというお告げがあったそうです。井戸を掘ると水が湧き出て、その水で干ばつをしのぐことができたそうです。城主は八大龍王をお井戸権現と名づけて祀ったそうです。清水の湧き出た地には持宝院という修験の寺があり、その子孫である飯島氏が、今もお井戸権現を祀っているそうです。写真は見川3丁目にある社殿です。
文明4年(1472)は干ばつで、城主の見川氏が神社で祈ったところ、八大龍王があらわれ、城の南西に清水の湧き出るところがあるので、その水を使えというお告げがあったそうです。井戸を掘ると水が湧き出て、その水で干ばつをしのぐことができたそうです。城主は八大龍王をお井戸権現と名づけて祀ったそうです。清水の湧き出た地には持宝院という修験の寺があり、その子孫である飯島氏が、今もお井戸権現を祀っているそうです。写真は見川3丁目にある社殿です。
七之助様と雨乞い
神官である七之助が、島田村(現・島田町)を通りかかり、村人が日照りで困っている様子を見たそうです。涸沼(ひぬま)川にもぐって竜神に雨をお願いしてくるから、その間、「筑波山の笠雲 ざあざあっと 降ってこよ 降ってこ まかってこ おちてこよ」という歌を歌ってくれと言い残して川にもぐっていったそうです。しばらくすると筑波山のいただきに笠雲があらわれて、大雨が降ってきましたが、七之助が戻って来ることはなかったそうです。村人は香取神社の境内に小さなほこらを作り、恩人の七之助を祀ったそうです。写真は島田町あたりの風景です。
神官である七之助が、島田村(現・島田町)を通りかかり、村人が日照りで困っている様子を見たそうです。涸沼(ひぬま)川にもぐって竜神に雨をお願いしてくるから、その間、「筑波山の笠雲 ざあざあっと 降ってこよ 降ってこ まかってこ おちてこよ」という歌を歌ってくれと言い残して川にもぐっていったそうです。しばらくすると筑波山のいただきに笠雲があらわれて、大雨が降ってきましたが、七之助が戻って来ることはなかったそうです。村人は香取神社の境内に小さなほこらを作り、恩人の七之助を祀ったそうです。写真は島田町あたりの風景です。
山王神社と松の木
岩根村(現・岩根町)の山王神社の神様は、松葉で目を突いたことがあるので、岩根の人たちは、みな片方の目が小さいそうです。そして、庭に松を植えることを嫌ったそうです。写真は山王神社の拝殿です。手前にはケヤキの大木があります。(後日 すでにケヤキは伐採されています)
岩根村(現・岩根町)の山王神社の神様は、松葉で目を突いたことがあるので、岩根の人たちは、みな片方の目が小さいそうです。そして、庭に松を植えることを嫌ったそうです。写真は山王神社の拝殿です。手前にはケヤキの大木があります。(後日 すでにケヤキは伐採されています)
馬鹿むこの節供
昔は、もの日には仕事を休んだそうです。そして9月9,19,29日は三つ九日といって、もの日だったそうです。お姑(しゅうとめ)さんが馬鹿むこに、「今日は9月の9日だ。おこわをふかして食べて仕事をしたほうがよいか、麦飯を食べて遊んだほうがいいか」と聞くと、むこさんは、「おこわを食べて、コミッチリしたところで畑掘りしんべ」といって、おこわをたべると、畑に行ってしまったそうです。それでこの日を「馬鹿むこの節供」というようになったそうです。
昔は、もの日には仕事を休んだそうです。そして9月9,19,29日は三つ九日といって、もの日だったそうです。お姑(しゅうとめ)さんが馬鹿むこに、「今日は9月の9日だ。おこわをふかして食べて仕事をしたほうがよいか、麦飯を食べて遊んだほうがいいか」と聞くと、むこさんは、「おこわを食べて、コミッチリしたところで畑掘りしんべ」といって、おこわをたべると、畑に行ってしまったそうです。それでこの日を「馬鹿むこの節供」というようになったそうです。
犬嫌いな稲荷さま
大塚町の古谷坪では、住谷本家にある氏神さまがお稲荷さまで、使いが狐のために、犬が嫌いだそうです。そのため、昔からこの地ではどの家でも犬を飼わなかったそうです。
大塚町の古谷坪では、住谷本家にある氏神さまがお稲荷さまで、使いが狐のために、犬が嫌いだそうです。そのため、昔からこの地ではどの家でも犬を飼わなかったそうです。
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