ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の黒

2023-08-31 20:49:48 | 水戸

偕楽園表門(偕楽園 常盤町1-3-3)
 黒門というそうで、塗装に松煙がはいっていて黒いのだそうです。門手前に馬つなぎがあったとか、はいってすぐ右に番小屋があったとか書いたものもあるようです。また、門を入って右手にある松林は、開園当時、梅林だったそうです。

 

黒豆納豆(天狗納豆 柳町1-13-13)
 黒大豆で作った納豆だそうです。徳川光圀は、胡椒などで味付けした久呂万米(くろまめ)納豆を食べているそうです。

 

水戸黒(水戸市役所 中央1-4-1)
 江戸時代盛んだった黒染めは、下地を紅にしたそうですが、水戸では、藍を下地にしてその上に黒を何回かのせたそうです。それによって、青みがかった深い黒になるのだそうです。「水戸公の羽織は千代田城の金屏風がよく映える」といわれ、水戸藩主はそれを自慢にしていたそうです。写真は、以前市役所に展示されていた水戸黒の袢纏(はんてん)です。

 

黒鳥(桜川 千波町)
 昭和53年に宇部市の常磐公園から黒鳥の6羽のつがいが贈られて、千波湖に住みついたそうです。昭和45年に白鳥を贈ってくれた彦根市に、その後、昭和62年に水戸市から黒鳥が贈られるということもあったそうです。写真は抱卵している黒鳥で、今も散策する人たちの目を楽しませています。

 

大黒銭碑(銭谷稲生神社 浜田町150)
 水戸藩は幕末、財政は逼迫していて、幕府に何度も百文銭などの鋳造を願い出たものの許されなかったそうです。そのために、蒔(ま)き銭という名目で、50文として流通した虎銭と、24文として流通した大黒銭が鋳造されたそうです。大黒銭の表には大黒が、裏には「寿比南山(南山にある不老松より長寿といった意味)」が鋳られていたそうです。大黒は、サンスクリット語のマハーカーラ(偉大なる黒色の神)を訳した言葉で、本来は仏教以前の非アリアン民族の神で、それが仏教に取り入れられたものだそうです。


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