心得たと思うことは心得ぬなり 心得ぬと思うはこころえたなり(安楽寺 元吉田町2511)
蓮如の言葉で、仏の知恵をたのみとして、自分に対して謙虚でなければならない、という意味のようです。安楽寺は、浄土真宗本願寺派だそうです。(撮影7/5)
欲深き人の心に降る雪は 積もるにつれて道を失う(長福寺 塩崎町1135)
幕末の三舟の一人で、槍の大家だった高橋泥舟の言葉だそうです。欲をうまく雪にたとえていった名言のようです。(撮影10/12)
和を以て貴しと為す(護国寺 見川1-2-1)
有名な誰でも知っている聖徳太子の言葉ですが、論語にも「礼の用は、和を貴しと為す」という言葉があるそうで、これが下敷きになっているのでしょうか。十七条憲法の第一条に「和」という言葉を持ってきたのはいかにも日本人らしいといえるのでしょうか。(撮影11/16)
迷いの岸から悟りの岸へ 合わす手と手が渡し舟(祇園寺 八幡町11-69)
これも上手な比喩を使って法語が作られているようです。「合わす手と手が」は、合掌して仏を信仰することをいっているのでしょう。(撮影12/7)
みつめようこころのすがた やさしい言葉はまあるいこころから(六地蔵寺 六反田町767)
真言宗豊山派本山の長谷寺作成のポスターなのでしょう。カドやトゲのない丸い心は、密教の要義を記したという秘蔵記にあるという、「我が心は-、猶(なお)し満月の如し」の満月や、「まるいこころ」とあるご詠歌などにあるイメージなのでしょうか。それに今様の「やさしい」という表現が加わっているようです。(撮影3/27)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます