今年もシャクナゲを描いてみました。
前々回の拙ブログ(4.24付)で、つつじをアップしましたが、
そのマンション庭園と同じところです。
実はこの庭園のシャクナゲは去年も描き(2022.6.6付)、
そこでは、シャクナゲが
解(ほぐ)れ、綻(ほころ)び、紐解(ひもと)きました、との表現をしていました。
“バカの一つ覚え”、“老人の一つ話”といいますが、私はそのバカな老人そのものでして、
シャクナゲを見ると、その開く様(さま)の言葉遊びをしてしまうのです。
いや、それしか思い浮かばないといった方が正直でしょう。
上の絵は5月に入ってすぐのものです。
一つ一つの花(この単位もややこしい)の開花だけでなく、
樹木全体としてみても開花したのは1/3程度、
残り閉じた蕾の塊が将に解れかかっており、
やはり、この花の開き方には“咲く”とか“開く”では勿体ないものを感じてしまうのです。
本作、そんな瞬間を描きたくての一枚です。
絵としては、鮮やかな花一つ二つを描けばいいものを、
樹木全体にこだわるため、文字通り総花的なものになっています。
これも上の趣旨としてご理解下さい。
なお、去年アップしたシャクナゲとは同じ庭園ではありますが、株は違うものであります。
言葉遊びついでに“解”の字を調べていました。
本題とほぼ同義の用語としては、
解(ほぐ)れるだけでなく、
解(ほど)ける、解(ほご)れる、解(ほつ)れる
・・・などがあることを知りました。
いずれも“ほ”から始まっており、何か意味ありげにみえますが、勿論分かりません。
日本語は本当に難しくややこしい!と思いますが、
詩人や歌人、俳人の方々などは、この繊細な違い、この微妙な言い回しを追い求めておられるのでしょう。
作品はそんな状態をシャクナゲの花を主役に見事に描かれていると思います。
コメントにもあります様に花は蕾から開花した物まで色々としかもバランスよく、またよく見るとそれを支えている枝、葉は一枚一枚形・色を微妙に変化させながら丁寧に描かれていると感心します。
解については、又勉強になりました。
北海道知床連山に咲く貴重なキバナシャクナゲ、栃木の道の駅で購入し自宅庭に植えた石楠花、この作品と同じ種類、色だったな、など思い出しました。
作品は、花の「解る」様も見事に描かれ、ご苦労の跡が滲みます、ツツジとは違う厚みを見て取れる存在感のある「葉っぱ」は秀逸と思います。