今回の主題は、沖縄の魔よけ獅子像シーサーです。
先日(5月12日)の教室でのモチーフの一つで、
10数cm大の置物を拡大して描かせていただきました。
本モチーフ担当のお方の縁者のお方で、沖縄の高名な女流陶芸家の御作品とのことです。
このシーサーをどのように描くか、自分なりに考えました。
芸術品ですので、僭越ながらこのまま描かせていただいてもいいでしょうし、
ハイビスカスやブーゲンビリアを添える案もありましょう。
迷ったあげく、しかし信念をもって、上掲のような絵にしました。
沖縄を題材にするには、このカチャーシーと呼ばれる沖縄の踊りも一案かな、と。
20数年程前になりましょうか、岡本太郎氏の「沖縄文化論」なる本を読みました。
そこに書かれた、沖縄の文化、中でも沖縄の踊りを通しての“踊りの本質論”は
強烈に印象に残っています。
氏は、沖縄の踊りはそれが古典舞踏であれ、一般庶民の自由な踊り(カチャーシーなど)であれ、
日本本土での、形を重んじたり、“しな”を作ったりする踊りと比べ、
沖縄の方こそが本物だ、とされるものです。
沖縄の踊りは、純粋でのびのびとして自由で、皆を溶け込ませる魅力があり、
世界の踊りの喜びの全てが沖縄にあるのではないか(趣旨)、とすら述べています。
拙ブログでキバナコスモスを描きましたとき(「歓喜して乱れ舞うキバナコスモス」(2019.9.9))、
この花を描きたい動機は沖縄の踊りからいただいた旨を書きましたが、
本作もその流れの一環でもあります。
沖縄の守護神に、皆して感謝している光景であります。
高台に坐しましていただき、その周りを輪になって踊りながら、
謝意を捧げさせていただいています。
輪も今は一重ですが、参加者も更に増えるようで、
やがて七重、八重になって乱れ咲くことでしょう。
本陶芸の作者様のご意図に沿うかどうかは分かりませんが、
心の内からなるお礼の気持ちの発露としてお受けいただき、
そして拙作、お許し下さいますようお願い申し上げる次第です。
カチャーシーの踊りの作画は『北斎漫画』の「動態活写」編が参考になりました。
老若男女それぞれの、両手の挙げ方、身体の向きやひねりなどなど・・・です。
シーサーの特色特に目の威力が見事に描かれていますし、その周辺を皆さんが楽しそうに踊っている様子から元気な声が聞こえて来そうです。
その基本や画力が北斎漫画から導かれているのもなるほど感満載です。