「集賢池答侍中客問」
主人晩入皇城宿
問客俳徊何所須
池月幸閑無用處
今宵能惜客遊無
平安三蹟の一人 藤原行成の「白氏誌巻」の一部を臨書しました。
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2,013年、東京国立博物館で開催された『和様の書展』という大きな展示会を
今は亡き友の案内で鑑賞しました。
その時に初めて行成の書を観たことでした。
展示会の時に発刊されたガイド本「和様の書」(下の写真参照)によれば、
「和様の書」とは中国風な「唐様」に対する言葉で、
平安前期の国風文化の発達に伴いその萌芽を見せ、
その当時は丁度「和歌」の興隆とともに「仮名」が成立する時期にあたり、
小野道風、藤原佐里、藤原行成の三蹟の時代に完成した、と。
また同ガイド本で藤原行成の書の特徴は
“横画の角度は比較的なだらか。
転折の部分は比較的軽く曲線的な運筆を用い、
(師と仰ぐ)道風の書法を踏襲するだけでなく、
自らの美意識を加え、
優雅さと繊細さを持ち、瀟洒で明るい。”と。
実際に臨書しながら強く感じたのは、字や線の“太細”の変化のつけ方でした。
「白氏誌巻」は唐の詩人白楽天(白居易 平安貴族に好まれていた)
の詩文集で、
その中の八篇の詩を行成が書写したものです。
今回の作は第五篇(集賢池・・・)で、
第四編(夜光帰・・・)はガイド本の表紙を飾っています。
藤原行成の書で、仮名のものは行成の真筆とされたものはなく
「伝藤原行成筆」(例えば関戸本古今集など)となっていますが、
漢字のものには真筆のものが数点あり、
本作も勿論真筆、そして畏れ多くも国宝とのことであります。
ちなみに行成の国宝は他に2点ありますが、いずれも漢字の作品とのことです。
尚、本作実は“小筆”を使って“漢字(のみ)”を書いた初の作品です。
伸び伸びとした字とするため、
最初は筆の中ほどより上の方を持って書く(懸腕法)練習から始めましたが、
臨書ということになると段々その位置が下に降りてきて、
手首や小指が紙に接触する(堤腕法)ところも多々・・・という次第であります。
次週は、第一篇(八月十五夜(仲秋の名月のこと)・・・)に
挑戦してみようと思っています。
最も有名な篇とのことで多くの方が書かれています。
今回の本篇だけでも36文字ありますが、第一篇は64字あります。
これを多くて大変とみるか、それだけ多くの字の練習が出来るとみるか、
後者とみることと致しますが、
どちらにしても五十歩百歩にすら届かぬ話ですね。
小筆を使って懸腕法の練習から始めたとのこと、あくなき探求心、向上心に圧倒されます。
まだ見知らぬ大和文化の伝統を是非教えていただき、後世まで伝えていただきたいです。
それにしても一字一字の筆の入り、流れ等々に加え、今回重視された太と細の変化はお見事ですね。