クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

観音山万灯会(まんどうえ)見物 H-23-8-27

2011-08-28 14:54:51 | 伝説・史跡探訪
今夕は高崎観音山万灯会、つまり「ろうそく祭り」なのだ。

宗教性を重んじつつも、娯楽性や観光性を加味して、変化拡大できる柔軟なお祭り。
夏の夜を飾る荘厳で、幻想的な、美しいお祭りであるとも。

天気予報ではこのところ、毎日の癖になっている雷雨も無さそうなので観音山に。

駐車場所の情報が得られないので少し早めに観音様裏の野鳥の森に
向かったが、正月には黙認されている路傍駐車場所はコーンが置かれている
上に警官が張り付いて全く駄目。
戻って羽衣線に入り直し、参道商店街下の大駐車場。だかここもイベント広場に
なつていてずっと先の臨時駐車場に誘導された。



開始時間には相当時間が有る筈なのに広大なスペースは間もなく満車になりそう。



駐車場から人波の後について急坂を登っていくと途中に早くも「灯明」が並ぶが
未だ明るさが残っているので目立たない。



やがて何時もは駐車場の平和塔広場。入り口付近に観音山観光センター。



その脇のバス停に丁度高崎駅西口からのバスが到着し多くの見物客が下車してくる。
ここが通称「観音山山頂」と言うことらしい。



夕暮れの近い広場には「雷舞」を演ずる「虎舞士」のメンバーが待機中。





広場には「灯明」が配置されて徐々に光が浮き出しつつある。ここだけで5000ヶを
設置するとの事。



北側には祭り定番の屋台が多数並ぶ。



一回り見物してからこの道標で約1k弱ほど離れた慈眼院と観音様方面に。



参道入り口、ダラダラ登りの舗装路で土産物屋が並ぶ。



途中の暗がりに仁王像。



この道には多くのユリが植えられていて丁度見ごろを迎えている。



竹灯明も。



観音様近くには灯篭が並ぶが今年は東北大災害の供養とか。



慈眼院本堂では早くも護摩がたかれて読経も始まっており、パイプ椅子に多くの
信者らしい人たちが座っている。
石段のところには灯明がずらり。



下の広場にも一面に灯明が置かれている。



観音様へ通ずる場所に「円光くぐり」、此れを潜って観音様に灯明を供えているらしい。



で、こんな風景となる。



再び1k戻って平和塔広場、丁度雷舞をやっていたが「夜景モード」で動くものを
写す方法がわからずにボケ写真。



暫く見物してからこの道標で数百㍍離れた清水寺へ。何となく「きよみず寺」でも話は
通ずるが正確には「せいすいじ」。
大同3年(808年)征夷大将軍坂上田村麻呂が、蝦夷征討の兵士の健勝と
武運長久を祈り、京都東山の清水寺から勧請、開基したとの言い伝え。
正面が大悲閣と呼ばれる観音堂、堂内に狩野常信筆の大絵馬一対、和算の
大家斉藤宣義奉納の算額。高崎出身の浮世絵師、一椿齋芳輝の献額16面が
観音堂の廻廊を飾っている。



本堂手前に「田村堂」とも言われる木像堂。幕末の天狗党事件の犠牲者を祀るとか。








清水寺の由来説明版。昼間見ればこんな形。





ろうそく祭りは今年で15回目だが慈眼院付近のみで実施されていたのが、この清水寺や
500段を越す石段下まで拡大したのが第八回くらいからと聞く。
階段の灯明を上から。



石段付近はアジサイで有名、その頃の石段下の様子。



これで一巡したので見物は終了。



ご来訪のついでに下のバナーをポチッと。



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 高崎まつり見物 H-23-8-7 | トップ | 山名丘陵散策 H-23-8-30 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

伝説・史跡探訪」カテゴリの最新記事