先日、日本石仏協会編の「石仏地図手帳・群馬編」に接したが改めて群馬の
石仏の多さを認識させられた。山行きの途中でも時々見掛けはしていたが、
散発的なので差ほどには気にしていなかった。此れを機会に道祖神の宝庫と称せ
られる倉渕を訪れる事にした。上掲の写真は関組本社付近の草叢で見つけた
本の記載には無い無名道祖神。
(1) 落合の双体道祖神
406号線を西進して「湯殿山トンネル」を抜けると直ぐに榛名町から
倉渕に入る。
間も無くバス停・落合があるが、そこは「三の倉・落合」信号の四つ角。
その右手前に道祖神の看板がある。今日訪ね歩いた道祖神で車道に表示が
あるのはここだけ。
適当に駐車して右の坂を登った所に道祖神。「倉渕村指定有形民族文化財」
という長ったらしい肩書き。彫りも良く浮世絵を思わせるとの解説であるが
詳細描写は一寸はばかられる宝歴10年銘の愛戯形道祖神。
(2) 路傍の石仏
ここから数分のところの右手土手上に道祖神・観音・庚申を集めて祀って
あるが説明板も無いので由来は不明。
(3) 神明宮の道祖神
西進して丁度送電線が車道とクロスする「バス停・森下」の近くで「神明宮」
の表示。神社の石段を登ると一隅に5基の道祖神が並んでいる。その一つには
倉渕特有の「日の丸」に見える添彫がある。
(4) 下水沼の道祖神
更に西進して倉渕小先の信号を「松井田方面」へ左折。突き当りの「蓮華院」
近くの路傍に駐車。左にほんの僅かの路傍に「下水沼の道祖神」はある。
大正八年の銘の通り道祖神にしては新品のように綺麗。
もう一つは少し上手の人家脇にひっそりとあるが、左神の裾が刎ねあがっている。
(5) 坂下の道祖神
ここから数百㍍、閉鎖されている感じの「倉渕自動車修理」の反対側の坂を登ると
右手林の中にある。頬寄せて肩を組み、女神は髪を結っている。脇に銘盤。
(6) 水沼神社の道祖神
やがて33号線にぶつかり、「右北軽井沢」に従って右折して消防車庫手前に
駐車して目の前の「水天宮」の石碑を見ながら水沼神社へ。三体の内、左の
ものは摩滅しているが右のは長形の石に彫られていて珍しい。
(7) 岩氷の道祖神
北進して相間川橋を過ぎ倉渕石材プラント看板の四つ角を左折すると直ぐに
天満宮、かってはその鳥居の脇にニ体あったが倉渕道祖神盗難事件で亨保年間
のものが消失。
(8) 稲荷神社の岩氷五体道祖神
四つ角に戻って倉渕中の駐車場に車をとめ、体育館横の稲荷神社に向う。
ここには五体のものが並んでいるが、左端のは「日の丸付き幟」「左右一対宝剣」
「ご幣」が添彫されている珍しいもの。真中のには「宝剣」らしき彫りが見られる。
(9)再び四つ角から僅かに北進すると、古い小さなお堂が左手に見える。
お堂の前には「百観音」があり壮観。
(10)下諏訪神社の道祖神
岩氷下下道に来て、旧関組駐車場の空き地に駐車。左に小道を辿る
と下諏訪神社。
説明看板付きでニ体、右のは男神が手を差し伸べ、酒器持ちの左のは女神が
御高祖頭巾。天明8年の作で浅間の噴火、大飢饉が落ちついた頃のもの。
(11)上諏訪の双体道祖神
尚北進で旧公民館跡から左の山手に入ると上諏訪神社。「合掌」形と
「肩組み手握り」形。場所探しに疲れてここで打ち留め。
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石仏の多さを認識させられた。山行きの途中でも時々見掛けはしていたが、
散発的なので差ほどには気にしていなかった。此れを機会に道祖神の宝庫と称せ
られる倉渕を訪れる事にした。上掲の写真は関組本社付近の草叢で見つけた
本の記載には無い無名道祖神。
(1) 落合の双体道祖神
406号線を西進して「湯殿山トンネル」を抜けると直ぐに榛名町から
倉渕に入る。
間も無くバス停・落合があるが、そこは「三の倉・落合」信号の四つ角。
その右手前に道祖神の看板がある。今日訪ね歩いた道祖神で車道に表示が
あるのはここだけ。
適当に駐車して右の坂を登った所に道祖神。「倉渕村指定有形民族文化財」
という長ったらしい肩書き。彫りも良く浮世絵を思わせるとの解説であるが
詳細描写は一寸はばかられる宝歴10年銘の愛戯形道祖神。
(2) 路傍の石仏
ここから数分のところの右手土手上に道祖神・観音・庚申を集めて祀って
あるが説明板も無いので由来は不明。
(3) 神明宮の道祖神
西進して丁度送電線が車道とクロスする「バス停・森下」の近くで「神明宮」
の表示。神社の石段を登ると一隅に5基の道祖神が並んでいる。その一つには
倉渕特有の「日の丸」に見える添彫がある。
(4) 下水沼の道祖神
更に西進して倉渕小先の信号を「松井田方面」へ左折。突き当りの「蓮華院」
近くの路傍に駐車。左にほんの僅かの路傍に「下水沼の道祖神」はある。
大正八年の銘の通り道祖神にしては新品のように綺麗。
もう一つは少し上手の人家脇にひっそりとあるが、左神の裾が刎ねあがっている。
(5) 坂下の道祖神
ここから数百㍍、閉鎖されている感じの「倉渕自動車修理」の反対側の坂を登ると
右手林の中にある。頬寄せて肩を組み、女神は髪を結っている。脇に銘盤。
(6) 水沼神社の道祖神
やがて33号線にぶつかり、「右北軽井沢」に従って右折して消防車庫手前に
駐車して目の前の「水天宮」の石碑を見ながら水沼神社へ。三体の内、左の
ものは摩滅しているが右のは長形の石に彫られていて珍しい。
(7) 岩氷の道祖神
北進して相間川橋を過ぎ倉渕石材プラント看板の四つ角を左折すると直ぐに
天満宮、かってはその鳥居の脇にニ体あったが倉渕道祖神盗難事件で亨保年間
のものが消失。
(8) 稲荷神社の岩氷五体道祖神
四つ角に戻って倉渕中の駐車場に車をとめ、体育館横の稲荷神社に向う。
ここには五体のものが並んでいるが、左端のは「日の丸付き幟」「左右一対宝剣」
「ご幣」が添彫されている珍しいもの。真中のには「宝剣」らしき彫りが見られる。
(9)再び四つ角から僅かに北進すると、古い小さなお堂が左手に見える。
お堂の前には「百観音」があり壮観。
(10)下諏訪神社の道祖神
岩氷下下道に来て、旧関組駐車場の空き地に駐車。左に小道を辿る
と下諏訪神社。
説明看板付きでニ体、右のは男神が手を差し伸べ、酒器持ちの左のは女神が
御高祖頭巾。天明8年の作で浅間の噴火、大飢饉が落ちついた頃のもの。
(11)上諏訪の双体道祖神
尚北進で旧公民館跡から左の山手に入ると上諏訪神社。「合掌」形と
「肩組み手握り」形。場所探しに疲れてここで打ち留め。
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平成15年から公募で社家町活性化委員でした(笑)
湯殿山トンネルは戦時中 「軍靴」 の製造工場だったとか、
それでトンネルの外にも道があるんですね、通るたびに疑問でした。榛名山周辺のことは特別、楽しみに読ませていただいてます。今後もご活躍のほどを・・・
神社の無料駐車場はもとより、資料館では無理矢理
住宅地図をコピーしてもらったり、郵便局では
古い峠道を教えてもらったりと。それに町史編纂室の
S氏には電話でしつこく伝承を聞き出したり。
お蔭様でここ四年間に百回以上も榛名周辺ハイクを
楽しませてもらっています。
湯殿トンネルの南に不釣合いな林道があるのは、昔の
施設のためでしたか。あの道の南に湯殿山という
多分、誰も行かない山があり頂上に小生の付けた
標識があります。お暇の時にどうぞ。但し夏場は
雑木の繁茂で猛烈な藪になるので通れませんが。
今後とも宜しく。