暦には載っていないが、75年前の1941年(昭和16年)12月8日は、「太平洋戦争開戦日」である。
人間、得てして嫌なこと、悪しきことは忘れ去りたく、良いこと、楽しかったことは何時までもよく覚えているものである。しかし、75年前の今日の日のことは、我々の年代ですら忘れがちである。
ましてや若い世代では、未履修のこともあり、ほとんどの方は頭の片隅にもないのでは?・・もっとものことである。このせちがない時代を生き抜くことは至難なことであり、過去のことより、“今この時をどう生きるか”のご時勢である。
そのことを知りつつも、敢えてその日を紐解く。勿論、私も乳飲み子であり、この日のことは知る由もなく、長じて知った出来事である。
先ずは当日の再現である。
朝から、(^^♪ 守るも攻めるも黒鉄(くろがね)の 浮かべる城こそ頼みなる・・~と メロディーに乗せてラジオの勘高い声が鳴り響く!
“臨時ニュース・臨時ニュースを申し上げます”
―帝國陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戰鬪状態に入れり―
(大本營陸海軍部發表・十二月八日午前六時)
陸軍は 英植民地のマレ―・コタバルへ敵前上陸、
海軍は ハワイ・真珠湾へ奇襲攻撃を同時に敢行している。
(時差の関係で陸軍が早い)
ここでは、「真珠湾攻撃」をみる。
日本海軍は空母6隻(飛行機353機)で奇襲攻撃、敵戦艦4隻を撃沈するなど、アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えている。
この報は、暗電・トラ・トラ・トラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)で本国にもたらされているが、それさえ聞けずに名誉の戦死を余儀なくされた兵士達が居たことを忘れてはならない。
なかでも、この作戦で用いられた特殊潜行艇(全長:24m・全幅:1.85m)5隻(2人乗り)に乗り組んだ九軍神たちである。(1人は捕虜)
結果として、彼等の現場での戦果は皆無であるも、本戦争における両国民の意識高揚の小道具となったのでる。
即ち、日本では、大本営による「敵艦アリゾナ轟沈」の小道具に使われ、国民の熱狂を誘引することとなる。
一方、米国では、座礁で捕虜となったS少尉の特殊潜行艇を市中引き回しならぬ、全米本土引き回して、ルーズベルト大統領の軍事国債発行に係る正当性の小道具に使われている。
”帰艦かなわぬ軍神たちはトラトラトラを黄泉で聞く”
後に彼等は軍神と崇められ、4ヶ月後に日比谷公園で海軍合同葬を営んで貰ったとあるが、そのご遺族には、12月8日は“痛恨の極み”の一日であったに違いない。
そして昭和20年8月15日、全戦没者310万人(軍人・軍属230万人、民間人・800万人)に及ぶ尊い人命の犠牲をもって漸く終戦を迎えたのである。
あの日から既に3/4世紀を経た今日、こうして平和な御代を送らせて貰っているのである。
先人のご苦労に感謝の念が仕切りな一日なり。
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人間、得てして嫌なこと、悪しきことは忘れ去りたく、良いこと、楽しかったことは何時までもよく覚えているものである。しかし、75年前の今日の日のことは、我々の年代ですら忘れがちである。
ましてや若い世代では、未履修のこともあり、ほとんどの方は頭の片隅にもないのでは?・・もっとものことである。このせちがない時代を生き抜くことは至難なことであり、過去のことより、“今この時をどう生きるか”のご時勢である。
そのことを知りつつも、敢えてその日を紐解く。勿論、私も乳飲み子であり、この日のことは知る由もなく、長じて知った出来事である。
先ずは当日の再現である。
朝から、(^^♪ 守るも攻めるも黒鉄(くろがね)の 浮かべる城こそ頼みなる・・~と メロディーに乗せてラジオの勘高い声が鳴り響く!
“臨時ニュース・臨時ニュースを申し上げます”
―帝國陸海軍は本八日未明西太平洋において米英軍と戰鬪状態に入れり―
(大本營陸海軍部發表・十二月八日午前六時)
陸軍は 英植民地のマレ―・コタバルへ敵前上陸、
海軍は ハワイ・真珠湾へ奇襲攻撃を同時に敢行している。
(時差の関係で陸軍が早い)
ここでは、「真珠湾攻撃」をみる。
日本海軍は空母6隻(飛行機353機)で奇襲攻撃、敵戦艦4隻を撃沈するなど、アメリカ太平洋艦隊に大打撃を与えている。
この報は、暗電・トラ・トラ・トラ(ワレ奇襲ニ成功セリ)で本国にもたらされているが、それさえ聞けずに名誉の戦死を余儀なくされた兵士達が居たことを忘れてはならない。
なかでも、この作戦で用いられた特殊潜行艇(全長:24m・全幅:1.85m)5隻(2人乗り)に乗り組んだ九軍神たちである。(1人は捕虜)
結果として、彼等の現場での戦果は皆無であるも、本戦争における両国民の意識高揚の小道具となったのでる。
即ち、日本では、大本営による「敵艦アリゾナ轟沈」の小道具に使われ、国民の熱狂を誘引することとなる。
一方、米国では、座礁で捕虜となったS少尉の特殊潜行艇を市中引き回しならぬ、全米本土引き回して、ルーズベルト大統領の軍事国債発行に係る正当性の小道具に使われている。
”帰艦かなわぬ軍神たちはトラトラトラを黄泉で聞く”
後に彼等は軍神と崇められ、4ヶ月後に日比谷公園で海軍合同葬を営んで貰ったとあるが、そのご遺族には、12月8日は“痛恨の極み”の一日であったに違いない。
そして昭和20年8月15日、全戦没者310万人(軍人・軍属230万人、民間人・800万人)に及ぶ尊い人命の犠牲をもって漸く終戦を迎えたのである。
あの日から既に3/4世紀を経た今日、こうして平和な御代を送らせて貰っているのである。
先人のご苦労に感謝の念が仕切りな一日なり。
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