TBSの番組「サンデーモーニング」の最後に「風を読む」というコーナーがある。昨日はJT生命誌研究館館長の中村桂子さんが次のようなことを述べていた。
「自然の中にはバクテリア(細菌)がいたり、ウイルスがいたり、いろんなものがいるわけで、人類がこの地球上に登場した時には、もうそういうものはいた。ある意味では時々戦ったり、ずっと長い間、一緒に生きてきた‥‥(略)‥‥私たち(人間)はすぐに役に立つか?とか、必要か?っていうけど、自然界にいる以上、全てのものが、いることに意味があるので、別に必要だから、いるわけでも何でもない。私、いるから、いますよってわけで‥‥(略)‥‥病原体として出てきた時には、なるべく減らさなくてはいけないし、そういう意味では戦わなきゃいけないが、ゼロにしちゃう、何もなくなる、それが良いわけではない。そういうもの(ウイルスなど)がいる世界で、(人間も)生きているんだよなぁ、という感覚は持ち続けないと生きているということにはならない」
ここで言われていることはすぐれて仏教的であると思う。ウィルスは私たち人間が登場する以前から自然界にいたのである。私たちはそういう中で生きている。ウィルスが人間にとってよくないものというのは人間の側の都合であることを忘れてはならない。ウィルスがよくないからといって根絶やしになどできるものでもない。流行を防ぐために最善の努力をしなければならないのは当然であるが、ヒステリックな対応はさらなる災厄を生み出す可能性がある。根絶したつもりでも次から次へと変異したものが現れるだろうという諦観は必要である。中村さんも仰っているように、我々は『そういう世界の中で生きている』という感覚はとても大事なことと思う。
今回の新ウィルスの県の影響で、今シーズンのインフルエンザの患者数が例年に比べて激減したというニュースがある。マスクと手洗いの励行でウィルスの流行がかなり防げるということが分かったのは怪我の功名というものだろう。