ふわり、ふわりと風のふくままに・・日記

感性がキラリと輝くような毎日を過ごしたいけれど、現実はなかなか思うようにはいかない。小さな喜びに敏感でありたい。

地震 私にできることはなにか・・・

2011-03-24 08:22:18 | 日々の出来事
地震と津波によって、そしてその後の環境変化などでご家族や親せき、大切な関わりの合った方を亡くした方へ
かける言葉が見つかりません・・・亡くなられた方々のご冥福を祈り、あなたご自身がどうかいのちをつないで、また立ち上がることができるように心から願っています。

不便な生活環境を強いられている方々へ
体育館やそ施設の床に薄いシートを敷いて、数枚の毛布で横になってくつろぐことなどできない、たったそれだけを想っただけでもどんなにか辛いことだろうと思っています。住む家がなくなり、あるいは帰る家が壊れている、家族とまだ連絡のつかない不安感の中で、どんな思いで毎日を過ごしておられるのでしょう。遠くでも傍にいるよという気持ちしか伝えられません。

原発の事故現場でいのちをかけて、復旧作業を続けておられる方々へ
恐怖心と責任感・使命感だけではない支えがあるのだと思います。感謝の気持ちでいっぱいです。どうぞご自分の家族、ご自分のいのちも大切にしてください。その思いはとっても尊いものです、いのちを捧げつくす限界まで頑張らないで欲しい、と私は思っています。

今朝のラジオ番組でも、原発に、自衛隊に、警察に…避難所を支援している方…メディアには出てくる頻度は圧倒的に少ないけれど、復旧のためにあちらこちらの現場で不眠不休で修復工事や再建に向けて働いていらっしゃる方々の、本当に大きな力が本当に頼もしい、と話しておられた方がいました。

・・・

安全な生活がいかに危険と隣り合わせであり、そして多くの方々によって支えられているのか、東京を中心とする東電管内の生活が周辺にある電力供給施設、特に一旦綻び始めると核拡散への恐怖と紙一重になる原発施設をそばに抱える地域の方々が、数十年前にその最初の建設計画を聞いた時によぎった不安が現実となって、この数日すごく感じています。本当にありがとう、そして今までごめんなさい。原子力発電所建設反対の運動に関心を持った時に、もっともっと深く考えることをしなかった自分を恥じています。いつもどこかで中途半端な自分をまた省みています。

進んだ科学技術、数々の経験によって蓄えられた知恵と知識を超えて起きる自然災害、もっと人間は謙虚にならないといけないという警鐘にも思えます。いま、東京では計画停電が順次実施されています。
年代がばれても仕方がありませんが…私が子供のころはヒューズが飛んで良く停電がありました。雷が落ちればかなりの時間停電でした。電化製品が今ほど無かった時代を少し知っています。テレビを初めて見たときのこと、家に洗濯機が来たときのこと、製氷室に氷屋さんから氷を買って入れた冷蔵庫を知っています。エアコンなどなくて夏は風が通る場所を見つけて、廊下に自分の居場所を探したり、冬はまだ炬燵には豆炭とか炭を使っていた頃もありました。そんな小さかった頃まで遡らなくても、私たちがそんなにせわしい生活ではなくて、30年ぐらい前位の不自由さで十分かもしれないなぁと思います。道路に久しぶりに車の数が減ったように見え、徐行して交差点を過ぎるのを見てこれでいいんじゃないかと思います。数分おきに正確に駅に入っていた電車が、節電のために間引き運転になり少し早目に家を出たり、まばらな電車をまっている。何だか時間の流れがゆっくりになったような気がしているのですが…。駅の構内が、デパートやスーパーの売り場がどことなく薄暗くなっているけれど、それでもそんなに不自由しない。
家に電話がないのが当たり前の時代から、黒電話を経て今の電気を併用して機能が一杯あって便利になった電話機。停電になると使えなくなる通信網は次に衛星を経由した通信機器にと今回言われていますが、黒電話(震災直前の山村のおばあちゃまのお家では停電でもつながる黒電話がいまだ健在でした、びっくり)ではなぜいけないのかな、とふと思います。開発に開発を重ねて便利になったものはどこかの首をつかまれると簡単に身動きが取れなくなる、今回そんなことも思います。

色々なことを考える時を持てたこと、それはいいことなのかもしれない。まだまだ続きます。