私がまだ小学校4~5年生の頃だと思う。
時代は1960年くらいだったと思う。
(不確かなので・・・)
何かの帰り、最寄駅からバスで家に帰るときのことだった。
夜だからバスに乗ったのであり、昼間は当然バスには乗らないで歩いていた。
当時のバスはまだ若い女の人の所掌さんが乗っていた。
家の近くのバス停で降りるとき、
近所のお兄さんもいつも一緒に降りた。
年は私より10歳以上、上だったと思う。
顔は知っていたけれど、話はしたことはなかった。
当時、私の住んでいた郡内地方は織物業が盛んだった。
我が家は農家だけだったけれど、
機や(はたや)さんの家が多くて、
機(はた)を織る機械の音がガシャ、ゴショ、ガシャ、ゴショととてもうるさかった。
近所のそのお兄さんの家は、大きなはたやさんの家で、
女工さんを何人も使っている大店(おおだな)だった。
・・・前置きはそのくらいで・・・
バスを降りるとき、
そのお兄さんはバスに乗車賃を入れるとき、
いつも「釣りはいらない」と言って降りていた。
私はその人の後でバスを降りるのだが、
お釣りはももらってはいけないのだろうか?
と、思ってしまった。
私は当然お釣りはもらいたい!
次の日にまたバスで一緒になった。
近所のお兄さんの後で降りたとき、
「お釣りはいりません」と私も言ってしまった。
一瞬車掌さんはびっくりした顔をして私を見た。
子どもなのにと思ったに違いない。
けれどそのまま何も言わなかった。
後になって考えてみると、
私もバカをしたよなと思った。
お釣りはいらないどころか、
お釣りは当然ほしい。
当時、我が家はそれほど豊かな生活をしていなかった。
あの近所のお兄さんは、大店の息子さんで、きっと女性の車掌さんの手前、恰好をつけていたのだろう。
思い出すと、今でも笑ってしまう。
子どもだったからわからなかった、バカな思い出です。
時代は1960年くらいだったと思う。
(不確かなので・・・)
何かの帰り、最寄駅からバスで家に帰るときのことだった。
夜だからバスに乗ったのであり、昼間は当然バスには乗らないで歩いていた。
当時のバスはまだ若い女の人の所掌さんが乗っていた。
家の近くのバス停で降りるとき、
近所のお兄さんもいつも一緒に降りた。
年は私より10歳以上、上だったと思う。
顔は知っていたけれど、話はしたことはなかった。
当時、私の住んでいた郡内地方は織物業が盛んだった。
我が家は農家だけだったけれど、
機や(はたや)さんの家が多くて、
機(はた)を織る機械の音がガシャ、ゴショ、ガシャ、ゴショととてもうるさかった。
近所のそのお兄さんの家は、大きなはたやさんの家で、
女工さんを何人も使っている大店(おおだな)だった。
・・・前置きはそのくらいで・・・
バスを降りるとき、
そのお兄さんはバスに乗車賃を入れるとき、
いつも「釣りはいらない」と言って降りていた。
私はその人の後でバスを降りるのだが、
お釣りはももらってはいけないのだろうか?
と、思ってしまった。
私は当然お釣りはもらいたい!
次の日にまたバスで一緒になった。
近所のお兄さんの後で降りたとき、
「お釣りはいりません」と私も言ってしまった。
一瞬車掌さんはびっくりした顔をして私を見た。
子どもなのにと思ったに違いない。
けれどそのまま何も言わなかった。
後になって考えてみると、
私もバカをしたよなと思った。
お釣りはいらないどころか、
お釣りは当然ほしい。
当時、我が家はそれほど豊かな生活をしていなかった。
あの近所のお兄さんは、大店の息子さんで、きっと女性の車掌さんの手前、恰好をつけていたのだろう。
思い出すと、今でも笑ってしまう。
子どもだったからわからなかった、バカな思い出です。