Born Free

引退試合


京セラドーム大阪での
今シ-ズン最後のホ-クス戦。

試合の結果は2ー1で
ホークスの勝ちやったケドも
内容はあんまり誉めれるモンや無いし
来季への期待を微塵とも感じさせれん
おそまつなモンやった。

それはさておき…

この日、"近鉄バファローズ"時代から
我がホークスを苦しめ続けた
水口栄二選手の引退試合やった。

代打で登場して凡打で終わったケドも
我がホークスファンからも拍手で送られた。

ぢつは、長年野球を観て来たケドも
盛大な"引退セレモニー"っちゅうのに
居合わせたコトが残念乍ら無い。

結果的に最後の出番になった試合とか
セレモニー抜きの最後のカオ出し的なモンは
観たコトがあるモノのそれでも数は少ない。

最初に観たのは、1981年9月の
南海ホークス対西武ライオンズに於ける
ホークス、佐々木宏一朗投手(故人)の引退登板やった。

先発で登板。打者一人のみっちゅうコトで
西武ライオンズの当時の監督である
根本陸夫監督(故人)の計らいで
プロ野球生活をスタートさせた
近鉄バファローズ時代のチームメイトである
土井正博選手が一番打者として打席に立った。

その試合の後、その土井選手も引退を発表した
っちゅうコトで、記憶に遺ったモンになった。

それに対して結果的に
"最後の出番"になったモノで印象に遺ってるのは
2000年10月の日本シリーズ
読売ジャイアンツ対福岡ダイエーホークス戦に於ける
ホークス、湯上谷宏選手が出場した試合である。

三勝二敗と王手を掛けられた試合で
今もアタマに木霊してるこのコール。

「九番、サード 湯上谷 背番号6」

久々のスタメン出場やったモノの
ヒット無しで、最後の最後に難しいタマを捌き
一塁に送球したモノの大暴投になり
残念乍ら、次のイニングで交代させられた。

結局、その試合で大敗して
ジャイアンツが日本一になりシリーズが終わった。

そのシーズン終了後、湯上谷選手は戦力外通告を受け
そのまま、グラブを置いた。

後で、思い返したコト。

「そないいうたら、西宮でデビューも観たんや!」

プロ野球生活のスタートとラストを観れた選手は
今のトコロ、湯上谷選手だけである。

セレモニーは無かったケドも
今でも思い入れの強い"引退試合"になった。

ハナシは戻るケドも…

最初の方にも書き綴ったケドも
水口選手にはホンマにイヤな目に合わされた記憶が
ものごっつう多い。

藤井寺、大阪ドーム、スカイマークスタジアム…

近鉄~大阪近鉄~オリックス バファローズ…

トコロとチーム名が変わっても
その職人的な打撃センスはフィールドで
鈍い輝きを放った"いぶし銀"は色褪せんかった。


♪気合いを入れて打つぞ 我らの栄二
 栄二のバットが火を噴くぞ ホームラン♪


ホンマにお疲れ様でした。
コレで終盤安心して野球が観れます。

ひねくれたコトバですが、ワシなりの"賛辞"です。

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