「一番 センター 平野 背番号 9」
独特の高い声と、長年一定した
メロディに乗せた様な言い回しのアナウンス。
生まれて初めて野球場に行ったのは
"南海ホークス"の本拠地、大阪球場や無く
"近鉄バファローズ"の本拠地、藤井寺球場やった。
その時より前に、バファローズのホームゲーム
日生球場や藤井寺球場の独特の調子のアナウンスは
物まねする程、インパクトがあった。
1980年9月21日 近鉄対南海
この試合で初めて、そのアナウンスを生で聞いた。
それから、23年後に
大阪近鉄バファローズ消滅後…
「これでアナウンス業も引退です。」
っちゅうコトバを一旦遺したモノの
選手達や新球団の希望もあり、二軍戦のアナウンスを続けた。
更には、2007年に水口栄二選手の引退セレモニーで…
「二番 セカンド 水口 背番号10」
っちゅう、泣かせる演出の声も担当。
古くからのパ・リーグファンには
このヒトの声を語らずには居れん存在やった。
2004年の大阪ドームでの
大阪近鉄バファローズの最後の試合で
ファン向けのセレモニーを一切行なわない
っちゅう方針を貫いた、冷酷な親会社に従った球団。
その渦に彼女も巻き込まれ、さぞ、やり切れん
なんとも言えんキモチやったであろう。
最後の客出しの際の…
「ありがとうございました。 …ありがとうございました。」
っちゅう声が、ものごっつう印象的やった。
大野博子さん。
あなたのコトはこれからも
語り継いで行きたいと思います。
御冥福をお祈り致します。
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越後屋
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