Born Free

"青春の叫び"


ジムのエアロバイクにテレビが付いてるんやケドも
それを観てたら、紳助・竜介の漫才をやってた。

残念乍ら音声を聞くコトが出来んかった。
ものごっつう観たかった。無念である。

漫才ブームの頃、ワシは小学校高学年やった。
"THE MANZAI"は欠かさず観てた。

その中でも、紳助・竜介が特に好きやった。
(やすし・きよしは別格である…笑)

大阪にはミナミに…

"上方演芸資料館"(通称:ワッハ上方)

っちゅうモンガあるんやケドも
そこに行ったら、漫才のビデオを試聴出来る。

前に友達が大阪に遊びに来た時に
紳助・竜介のビデオをチョイスして一緒に観た。
ホンマにおもろうて、爆笑してた。

鈴鹿八耐に島田紳助がチームを率いて参戦してたんやケドも
1995年の最後の参戦を前にして、なんばグランド花月で
イベントをやったんやケドも、その時に一夜限りで
松本竜助(解散後"介"から"助"に改名)とムカシのトレードマークである
"布つなぎ"を来て、"再結成"っちゅうカタチで漫才をした。

当初、当時組んでたバンドのライブ前っちゅうコトで
他のメンバーから同意を得られず、八耐自体に行けんかったさかいに
そのイベントに行ったら、絶対に八耐に行きたくなるさかいに
行くつもりが無かったんやケドも、紳助・竜介が漫才をやるっちゅうコトで
辛抱出来るハズも無く、そのイベントに足を運んだ。

それが、紳助・竜介を生で観る最後の機会になってしもた。
生で観たくても、観れんコンビになった。

2006年4月1日 松本竜助 死去。

島田紳助の計画では、二人が満五十歳になった時に
もういっぺん漫才をやろうっちゅうハナシやったらしいが
その年齢達する、一年前に亡くなってしもたのである。

今観ても、彼らの笑いはワシにとってはおもろい。

せやケドも、個人的には今の島田紳助は好きや無い。
結局、得るモンを得たら"初心"を忘れる典型みたな風に見える。

せやケドも、映像で遺されてる"笑い"は今でも色褪せんままである。
それはワシのココロの中にある、紳助・竜介の漫才も同じ。

そんなコトを思てました。

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