1988・10・20
川崎球場 ロッテVS南海
前日の歴史的大戦の翌日
南海ホークスとしての最後の試合やった。
熱狂的南海ファンとして
冷たいと思われるかも知れんケドも
この日の記憶が全く無い。
この四日前の、10月16日に
藤井寺球場で観た、バファローズ戦を以て
ワシの中では野球ファンとしての
当時の句読点になってしもた。
ワシが初めて野球場っちゅう場所に
足を踏み入れたんが、1980年9月21日
藤井寺球場に於けるバファローズ戦やった。
それから僅か八年程で
南海ホークスで無くなったコトになる。
結果的にワシの"南海ホークス"は
藤井寺で始まり、藤井寺で終ったカッコになる。
翌年から福岡ダイエーホークスになったワケやケドも
テレビでは観るモノの、どうも現場に行って
野球を観る気が起きんかった。
完全に身売りを機会にスネてもうたカッコである。
結局、中三年間程野球場に背を向けた。
再び野球場に足を向けたのは1992年。
タマタマ親父がビアガーデンで貰った
バファローズの主催試合対象の招待券を貰たタイミングと
應援團時代に懇意にして戴いた女性の友達から
久々に連絡があって誘って貰ったタイミングが合い
日生球場に行くコトになった。
それからは、三連戦に一試合。
年に四、五試合っちゅうカンジのペースで
足を運び出したんやケドも…
せやケドも、その期間も熱心に
現場を護り続けたヒトたちには
ホンマにアタマが下がる想いである。
二度と足を運ぶコトは無いと思てた野球場。
それでもまた、戻るコトが出来たし
そのきっかけを与えてくれたヒトや
励みを与えてくれ続けてくれたり
支え続けてくれるヒトたちへの感謝は勿論。
それに加えて、リスペクトを忘れるコトは無い。
二十七年前の悔しさ、哀しさ…無念。
それを乗り越えて、現場を護り続けたヒトたち。
ワシは到底敵うコトは無い。
せやケドも、これからは逃げるコト無く
ワシなりの現場道を歩み続けたい。
改めて思います。
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