NHKで"こころの遺伝子"っちゅう番組をやってる。
そこで、三國連太郎氏が今日に至るきっかけを与えてくれた
映画監督の、故木下恵介氏からのコトバを未だに支えにしてる
っちゅう風なハナシをしてた。そのコトバとは…
「自分の好きな様にやりなさい。」
アテも無く、東京の街を彷徨ってた三國氏。
松竹映画のプロデユーサーに声を掛けられ
木下氏と面接するコトになったそうである。
「映画に興味はあるの?」
「いいえ。全く…」
噛み合ないやり取りを一時間程してたらしいが
そこで、気に入られた三國氏を気に入ったらしく
次回の作品の主役に抜擢するコトをそこで告げたらしい。
そこで、同じシーンの撮影でNGを連発したのにもかかわらず
なにも細かな指示を与えず、上のコトバを掛けたらしい。
そのコトを思い出し、思わず泪を流した三國氏。
"重鎮"と呼ばれる彼をそこまでさせるチカラがあるコトバ。
せやケドも、それって誰のココロの中にもあったりするんやなかろうか…。
ワシにももちろんあったりする。
中三も残り僅かになったであろうっちゅう頃
結局、最後までクラスに馴染めんかったワシ。
"同じ"っちゅうのとはちゃうやろうが
クラス、いや、ガッコ自体に馴染めんかった所謂
"ワル"っちゅう風に呼ばれてた、ガッコでもトップクラスのヤツに…
「がみ、おまえは"へんくつ"やからなぁ…。」
っちゅう風に言われた。
その当時、"へんくつ"の意味が理解らんかったワシ。
「なんやねん。それ…(笑)」
っちゅう風におどけてた。
せやケドも、そのコトバの意味が理解る様になってから
それがワシに対する彼なりの"人物評価"っちゅうか
"賛辞"なんやろうなぁと感じた。
せやケドも、そこで思たんが…
「ワシ、勿体無いコトをしてたんやなぁ。」
クラスにも馴染めんかったケドも
はぐれモンではあったケドも、決してグレてるつもりは無かったワシ。
彼に対しては、やっぱり"ビビり"みたいなモンがあったさかいに
正面から突き合わせるコトが出来んかった。
「ちゃんと向き合うてたら、"友達"になれたんやろうなぁ…。」
そんな思いが、今でもあったりする。
中学を卒業してから、25年経つ今もココロの中に遺ってる。
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