気が向いたさかいに、前からちょこっと歩きたかったトコを
"おさんぽ"がてら、歩いてみるコトにした。
ワシの出身中学から更に、北の方角に歩く。
この辺りは生活圏から完全に外れるさかいに
同じ区でも極めて馴染みの薄い地域である。
「そんなトコに、なんで?」
っちゅうカンジであるケドも、こないだ単車屋さんで
その地域のハナシになった時に…
「その辺りに"チンチン電車"の駅があったんですよ!」
っちゅうコトをクチにした。
それから、なんとなくそれが気になってて
今はどないなってるかを、この目で確かめたくなった。
頼ン無い記憶を辿って歩く。ちょこっと道を誤る(笑)。
行き過ぎて戻って、スタート地点に辿り着く。
「"平野南海"? なんで?」
そう思うヒトの方が今は多いと思われますが…
なんと、この商店街の中にはぢつは、"終着駅"となる"駅"が
存在したんでありまするよ~!
"南海平野線 平野駅"
昭和55年11月まで、天王寺駅前~平野駅まで運行してた"南海平野線"。
その終着駅である、"南海平野駅"の跡地である。
っちゅう風にエラそうに言うてるケドも
ぢつは先述の通り、我が家の生活圏から外れてるっちゅうコトで
この路線に乗ったのは廃止が発表されて、廃止寸前にいっぺんだけ
天王寺から家に帰る時に、わざわざ乗る為に遠回りした一回だけである。
地下鉄谷町線の開通により、昭和55年に廃止された後も
数年間は駅舎も保存されてたケドも
やがて取り壊され、路線跡を遊歩道として整備されてたんは知ってたケドも
20年程足を運んで無かったさかいに、正直、どないなってるか判明らんかった。
ちょこっと歩いたトコに、小休止出来るベンチがある。
その上を見てみたら、小洒落たカンジの屋根がある。
「おお~っ! こんなトコに遺してるんやぁ。ニクいなぁ。」
この屋根は、その平野駅の駅舎の外観をモチーフにしたモノ。
ぢつは平野駅まで乗ったコトは無いモノの
駅舎だけは、友達の家に行く途中で自転車で立ち寄ったりして
観たコトがあったさかいに、馴染みがあった。
上の写真にも見えてるケドも、車両の壁画もあり
実際に南海平野線が存在したコトを語る説明文が刻まれた
石碑も埋め込まれてて、この地域のヒトに愛されてたコトが伺える。
更には、信号機をオブジェとして遺してる。
実際にカタチとして遺すコトは難しいケドも
あったモノを"歴史"として"語り継ぐ"っちゅう地域のヒトのスタンスが
この様なカタチで表現されてるのは、なんかええなぁと思う。
昨年一時、大阪で現存する"チンチン電車"である
"阪堺電車"が堺市内の路線の赤字を理由に
堺市内の路線について廃止が検討されたケドも
堺市からの資金援助により、取り敢えずは回避された。
せやケドも、いつ再燃するか理解らん状態であるっちゅうハナシ。
昨年四月に、ビリケーンズを応援する仲間で貸切電車を走らせた時に
普段馴染みの無いヒトにも、新鮮な目に映った程、身近で魅力がある"チンチン電車"。
恵比須町~浜寺駅前まで、長い様に見えて
景色を観てたらホンマにあっちゅう間に時が過ぎた程
退屈するコトが無い様は、地下鉄や列車速度の早い
南海電車や、阪和線には味わえんモンがある。
ワシもタマには、トコトコと"チンチン電車"に揺られてみようかなぁと…
改めて思いました。
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