名古屋駅からの関西線は次の八田駅を過ぎると平行する近鉄線と交差する。
このあたりからその次の蟹江駅の間は当時は畑と水田地帯であった。
関西線の旅客列車は名古屋区のC57が牽引。
貨物は稲沢区のD51だが、ナメクジ・タイプのD512がよくしられていた。
一方、高山線の旅客列車はC58(たぶん美濃太田区だとおもう)が那珂駅あたり
をはしっていた。
以上は1967年7月の撮影。
このあたりからその次の蟹江駅の間は当時は畑と水田地帯であった。
関西線の旅客列車は名古屋区のC57が牽引。
貨物は稲沢区のD51だが、ナメクジ・タイプのD512がよくしられていた。
一方、高山線の旅客列車はC58(たぶん美濃太田区だとおもう)が那珂駅あたり
をはしっていた。
以上は1967年7月の撮影。
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