長谷部アジア大学校

2007-03-02 11:50:18 | ん~すごい!
昨日お会いした人:長谷部グループ会長、長谷部平吉さん
お許しをいただいて、お写真も。
「意志と能力があれば機会均等であるべし」のお気持ちで、アジア諸国の、特に経済的に恵まれない地域と人々を選んで育英資金を私費で提供しておられます。
また、教育と学問の目的である「業」を尊び、長谷部アジア大学校を設立、社会の礎となるも陽のあたりにくい農・林・漁・工・商・医業を営む人々に、「業博士」の学位を授与して顕彰されています。
いいなぁ・・・嬉しい楽しい元気を発散する84歳♪

日比野寛(ひびのかん)

2007-02-05 20:19:46 | ん~すごい!
広瀬淡窓(ひろせたんそう)(l782~1856)
「咸宜園」塾での教育方針は、入門の時に年齢・学歴・身分の三つを奪い、勉強次第で優劣を決めた。淡窓は約50年間に、全国62力国からの門弟約3000人を教えた。

淡窓は病弱でした。家業を継ぐことも働くことも出来ません。儒学しか身についたものはありませんが、儒学者で生活するなどということは当時想像もできません。
24歳、どうしよう・・・と相談しました。

くどくどと泣き言いうな!儒学しかないなら他に考えようがない、儒学者になって、生活に窮すれば飢えて死ねばいい!
・・・と言われて、目が覚めたことが、立志・・・

教育者として名高いことの意味は、この時代背景で、年齢、学歴、身分の差なく教育した姿勢と学問を求める姿勢・・・かな・・と思いました。


一方、健康な教育者として、「マラソン校長」の異名もある
日比野寛(ひびのかん)(1866-1950)

愛知県立第一中学校(現旭丘高校)の校長17年間。
日本で最初にマラソンを本格的に教育界に導入した。
むちゃくちゃ荒れた学校を、校長の力量で変えました。
教師と校長の徹底した職務分け。教務は厳選された優秀な教師にすべて任せ、
校長日比野はその全力を生徒の人間形成に注ぐ。

単に校長権限だけあれば、荒廃した学校が変わるわけはありません・・
日比野校長がやったこと、校長を辞めてからやったこと・・・
興味ありますよね・・・
http://hicbc.com/radio/kibun/2000asapon/hero/000918/
ネットは便利!すぐに出てきます。

すばらしい!・・・すごい!
現代にも、もっと、自由な校長が出て来てほしいなぁ・・・と思わせます。
映画かドラマにしたらいいのに・・・・と思うくらいに・・・いい・・

こういう出会いっていうやつがあるから・・
人生捨てたもんじゃないって・・・オモーゥヨ