前回、イジメで自殺事件にコメントしましたが、
ひょっとすると、一連の報道が次々と同様な事件を誘発するかもしれない・・・
マスコミがするいじめの原因追及のようなこと(真実の追究ではなく、のようなこと)は、学校や教師に矛先(間違いなく矛である自覚がないことが危険なんだけど)を向けます。
逆に、学校や教師が報道機関に反論すると、反省するどころか報道批判までする学校・・・などと、さらに矛を突き刺します。
結果・・・矛を向けられている側は、反論の気力を放棄します。
そういう姿勢を真実の追及とは言わないのです。
さて、イジメられて、辛かったろうね、苦しかったろうね・・・教師までがイジメに加担していて、何気ないジョークのつもりで始まるカラカイの言葉も、子供であってもプライド・尊厳・高慢・・が心にありますから、好きで信頼する人から言われても気にならないことも、嫌いな人には厳しく反応します。普通の対人関係。
そもそも・・・問題の一番初めにあることは、「イジメはよくないこと」
なのかな?
ひょっとしなくても、「自殺はよくないこと」もあるはず。
遺族や故人の心情を慮るあまり、
自殺した原因を、「させた人」・・の視点で見て報道する。
「した人」の視点で見ると、自殺する人の人格やそれを作る環境、みたいな議論はやりにくい。
こういうケースで体制批判だけをすると・・・
イジメられたから遺書を書いて自殺、いじめた奴に仕返ししたくなる・・・と思う人をつくる可能性はないでもないのよね。
集団の社会生活では、当たり前に想定できるイジメ・・・防ぐ方法論は、責任放棄が目的のやっちゃいけないという規則だけでなく、それが起きた時の対抗する方法の議論や企画が必要ね。
イジメがあっても直接、戦うことができない人・・・のほうが多いと思います。
人にも言えないで、一人悩むのよね。
学校という社会だけでなく、家庭でも会社でもある・・・一生涯・・・あるのよね。
だから・・・きりがない・・・概念としても予防する規則は難しい・・・
極論で、悪意に対抗して、正義感でその人を攻撃することが、その人にとってはイジメになる、・・・場合も考えられる。そんなことになれば、本末転倒。
マスコミに毎日追いかけられて、または追いかけられることを懸念して、自殺する人・・・いない、とも、いなかったともいえないと思う。
正義感で攻撃してるんだけど、その人には矛で突かれること。
口達者でリーダー的存在の人は、いろいろなことに裁定的なことをするものです。正義感から、悪者扱いして攻撃もするものです。弱いものを助けると称して、弱いものイジメになってしまうこともあるかもしれません。感謝する人と憎む人を同時に作ってしまうことも・・・。
それが〇とかXであるとかの方向に議論を向けてはいけません。
規則にはそういう一面もあること。あるがままに認識することです。
だから、規則は難しい。
イジメられて、あてつけ自殺、のようなことは、逃げること、弱いこと、卑怯なこと、恥ずべきこと、身勝手で最低の行為、順番で言うと相当順位が高い卑劣な行為・・・・という認識を広める方が、実利的には事件の防止になる可能性も。
でも・・・私が親だったら・・・・
自殺する前に、何故相談してくれなかったのか、そんな親子関係だったのかと、
何故、そういう場合の対処方法を教えなかったのかと・・・
親としての自分自身を一番の順序で責める・・・かな?
・・・・そうなんだけど、損害賠償の問題もあるから、周囲から同情され慰められながら・・・鬼のような顔して犯人探しと体制批判し続けるかも・・・
自分は・・・どっち・・かな?
そんな風に考えるのは・・・・いやな世の中だねぇ・・・
自立させることが親の責任。自立することが子の義務・・・自立が親子の目的。
結論は、ここなんですが・・・
ひょっとすると、一連の報道が次々と同様な事件を誘発するかもしれない・・・
マスコミがするいじめの原因追及のようなこと(真実の追究ではなく、のようなこと)は、学校や教師に矛先(間違いなく矛である自覚がないことが危険なんだけど)を向けます。
逆に、学校や教師が報道機関に反論すると、反省するどころか報道批判までする学校・・・などと、さらに矛を突き刺します。
結果・・・矛を向けられている側は、反論の気力を放棄します。
そういう姿勢を真実の追及とは言わないのです。
さて、イジメられて、辛かったろうね、苦しかったろうね・・・教師までがイジメに加担していて、何気ないジョークのつもりで始まるカラカイの言葉も、子供であってもプライド・尊厳・高慢・・が心にありますから、好きで信頼する人から言われても気にならないことも、嫌いな人には厳しく反応します。普通の対人関係。
そもそも・・・問題の一番初めにあることは、「イジメはよくないこと」
なのかな?
ひょっとしなくても、「自殺はよくないこと」もあるはず。
遺族や故人の心情を慮るあまり、
自殺した原因を、「させた人」・・の視点で見て報道する。
「した人」の視点で見ると、自殺する人の人格やそれを作る環境、みたいな議論はやりにくい。
こういうケースで体制批判だけをすると・・・
イジメられたから遺書を書いて自殺、いじめた奴に仕返ししたくなる・・・と思う人をつくる可能性はないでもないのよね。
集団の社会生活では、当たり前に想定できるイジメ・・・防ぐ方法論は、責任放棄が目的のやっちゃいけないという規則だけでなく、それが起きた時の対抗する方法の議論や企画が必要ね。
イジメがあっても直接、戦うことができない人・・・のほうが多いと思います。
人にも言えないで、一人悩むのよね。
学校という社会だけでなく、家庭でも会社でもある・・・一生涯・・・あるのよね。
だから・・・きりがない・・・概念としても予防する規則は難しい・・・
極論で、悪意に対抗して、正義感でその人を攻撃することが、その人にとってはイジメになる、・・・場合も考えられる。そんなことになれば、本末転倒。
マスコミに毎日追いかけられて、または追いかけられることを懸念して、自殺する人・・・いない、とも、いなかったともいえないと思う。
正義感で攻撃してるんだけど、その人には矛で突かれること。
口達者でリーダー的存在の人は、いろいろなことに裁定的なことをするものです。正義感から、悪者扱いして攻撃もするものです。弱いものを助けると称して、弱いものイジメになってしまうこともあるかもしれません。感謝する人と憎む人を同時に作ってしまうことも・・・。
それが〇とかXであるとかの方向に議論を向けてはいけません。
規則にはそういう一面もあること。あるがままに認識することです。
だから、規則は難しい。
イジメられて、あてつけ自殺、のようなことは、逃げること、弱いこと、卑怯なこと、恥ずべきこと、身勝手で最低の行為、順番で言うと相当順位が高い卑劣な行為・・・・という認識を広める方が、実利的には事件の防止になる可能性も。
でも・・・私が親だったら・・・・
自殺する前に、何故相談してくれなかったのか、そんな親子関係だったのかと、
何故、そういう場合の対処方法を教えなかったのかと・・・
親としての自分自身を一番の順序で責める・・・かな?
・・・・そうなんだけど、損害賠償の問題もあるから、周囲から同情され慰められながら・・・鬼のような顔して犯人探しと体制批判し続けるかも・・・
自分は・・・どっち・・かな?
そんな風に考えるのは・・・・いやな世の中だねぇ・・・
自立させることが親の責任。自立することが子の義務・・・自立が親子の目的。
結論は、ここなんですが・・・