と、言いますのはね
情報化社会とかジャーナリズムとか視聴率とか報道とか
権力の監視だとか、国民の声だとか、報道の自由だとか
まぁ、結局は
自由な競争下で、純粋に金のためにニュースネタを探す職業
しかしてその競争は、質の向上を促進する。
すなわち、
虚偽の報道や、偏向的な主張は視聴者の支持が得られないので
正義と真実を追求することになる。
個々人の自由な経済行為が集合して全体の経済があるように、
報道も必要性の追求を、個々人が自由な感性で行う。
基本認識がそうであるとして、次に
経済には合成の誤謬という現象があるという理解がある。
一つ一つは合理的だが、その集合として全体は
必ずしも社会適合するとは限らない。
主義の主張も損得の主張も完全にすべての人が一致することはない
そのような理解が視聴者には必要ですが
報道は手前の正義、一方の利益と損失だけに焦点を当てがちである。
また、戦いを好む傾向があります。
これは人の性格を反映したもので、簡単にいえばゲームを好む
どっちが勝つか負けるかという構図のほうが理解しやすい。
ですから、政治談議は対立する二者の勝ち負けの構図で報道しようとします。
選挙が良い例です。
両者の主張を論点にしない。
報道で創りあげた所属組織のイメージだけが論点
今日の社会の問題点を分野ごとに列挙すればよいだけ
それに対して、どのように法と制度を変更するのか
定期的な結果の検証報告
国会議員の役割を「立法」と原点回帰するならば
法と制度を説明できることが条件。
例えば、法に無知な人でも国会議員をやっているのは
地元の雇用を生み出す公共工事の誘致という役割に貢献した、という主張がある。
しかし、検証がないのである。
地元企業の雇用と賃金の増加を検証していないので、
工事一単位での乗数効果を確認できない。
議員の親族が公共工事を受注する公的団体や民間企業の関係者で
利得する関係にある。という仕組みを黙認してきたことは
高度成長期における功と罪の割合が、
今日では異なってきている可能性を疑うべきなのである。
単純なイメージです・・・
地方の道路工事会社、河川・港湾土木工事など、永久継続する工事を
地方・国会議員の親族が私している。
経営者の給与は公共工事100%の会社であっても制限はない。
この仕組みを修正しようとする政治家が現れる夢を見た。
情報化社会とかジャーナリズムとか視聴率とか報道とか
権力の監視だとか、国民の声だとか、報道の自由だとか
まぁ、結局は
自由な競争下で、純粋に金のためにニュースネタを探す職業
しかしてその競争は、質の向上を促進する。
すなわち、
虚偽の報道や、偏向的な主張は視聴者の支持が得られないので
正義と真実を追求することになる。
個々人の自由な経済行為が集合して全体の経済があるように、
報道も必要性の追求を、個々人が自由な感性で行う。
基本認識がそうであるとして、次に
経済には合成の誤謬という現象があるという理解がある。
一つ一つは合理的だが、その集合として全体は
必ずしも社会適合するとは限らない。
主義の主張も損得の主張も完全にすべての人が一致することはない
そのような理解が視聴者には必要ですが
報道は手前の正義、一方の利益と損失だけに焦点を当てがちである。
また、戦いを好む傾向があります。
これは人の性格を反映したもので、簡単にいえばゲームを好む
どっちが勝つか負けるかという構図のほうが理解しやすい。
ですから、政治談議は対立する二者の勝ち負けの構図で報道しようとします。
選挙が良い例です。
両者の主張を論点にしない。
報道で創りあげた所属組織のイメージだけが論点
今日の社会の問題点を分野ごとに列挙すればよいだけ
それに対して、どのように法と制度を変更するのか
定期的な結果の検証報告
国会議員の役割を「立法」と原点回帰するならば
法と制度を説明できることが条件。
例えば、法に無知な人でも国会議員をやっているのは
地元の雇用を生み出す公共工事の誘致という役割に貢献した、という主張がある。
しかし、検証がないのである。
地元企業の雇用と賃金の増加を検証していないので、
工事一単位での乗数効果を確認できない。
議員の親族が公共工事を受注する公的団体や民間企業の関係者で
利得する関係にある。という仕組みを黙認してきたことは
高度成長期における功と罪の割合が、
今日では異なってきている可能性を疑うべきなのである。
単純なイメージです・・・
地方の道路工事会社、河川・港湾土木工事など、永久継続する工事を
地方・国会議員の親族が私している。
経営者の給与は公共工事100%の会社であっても制限はない。
この仕組みを修正しようとする政治家が現れる夢を見た。