人の社会性:ちょっと変った考え方

2006-12-29 10:43:17 | 私見アウフヘーベン
人の社会性を考えるとき、何人かが集まって話すとおそらく、人はこうあるべき、ありたい、という対人関係の話になるかもしれません。
分かりやすい表現として・・・

人の社会性に関して、
<人に言われたくないこと・・・「うそつき」「なまけもの」>

イージーだけど、一つ一つ説明しようとすると、そうかもしれないという共感はありそう・・・

人の目を気にすることは、人が社会的動物であるということですが、人だけでなく動植物全て、他と相互に影響し合い存在しています。
話をもっと広げてみましょう・・

いつでしたか・・・キリスト教関係の人たちとお話しする機会がありました。
聖書を片手に、言葉を引用してお話されるのですが、人はこの世で最高の存在で、中心のテーマの捉え方や考え方・・・神の意思はそう・・かな?

考えてみると、ギリシャ・ローマ時代の美術に代表されるテーマは「人」です。
愛も感謝も憎しみも戦いも・・・全部「人」
西洋画の風景画や自然描写は、フォンテーヌブローの森の西、バルビゾン派の作品が思い出されますが、農耕する人、人が使う農工具、畜養牛馬羊を飼う人、自然の美しさの中にある人・・・やっぱ・・「人」なんだな・・と思います。

狩猟民族は狩をする人の姿に美を感じ、農耕民族は、四季の変化が育む自然の恵み・・・自然そのものを崇拝し感謝しました。

東洋は数千年前から、自然や風景をテーマにした美術が見えます。
愛や感謝は自然に向けられています。


キリスト教的なものに、東洋哲学的に思考を対峙させるとどうなるのかと想像しました。

人類が地球を支配する存在というのは事実なのか?
この地球は、現在、おそらく何千年も前から、被子植物の全盛期・・・
人は、この地球を覆う被子植物にとって、葉に付く害虫の一つとどこが違うのか、
虫は生きるため子孫を残すため植物の葉を食うが、人もやはり生きるために木を切る。・・・虫をこの地球の支配者と言うことがあるのだろうか・・・・

全ての存在が互いに依存しあって生きている概観があるだけ・・・その仕組みを創造したものが神である、と理解した方が分かりやすいかも。

人は優越する存在だから、崇高であらねばならない・・・と論理は流れるのでしょうが、驕りとうぬぼれが人の本姓であることが表裏にも。

人の社会性とは、人間関係だけにあるのでなく、自然といっしょに・・・

東京湾にある埋め立て浮島に植林して全部森にする、森だけの島をつくる・・・・建築家の安藤先生・・是非実現を

ポピュリズムの限界

2006-12-28 10:49:47 | 私見アウフヘーベン
ポピュリズムは民衆主義、大衆迎合主義などという意味で使われています。

誹謗中傷偏見差別を助長するという負の一面(なぜ負なのかは前回書きました)の一方、勧善懲悪も大衆は迎合します。

政府を「国家」と捉えるのか、「市民社会」の社会制度と捉えるのかは、その政府が専制的であるのか民主的であるのかで論点が変るように思いますが、現代はメディアが大衆意見を集合して政府に修正を迫る関係でアウフヘーベンしているようで・・・メディアの権力の驕りに対する大衆意見の対立でもアウフヘーベンしているように見えます。(メディアは表面的にそれを認めませんが)

今年一年は、親子や夫婦の関係を考えさせるイジメや犯罪が話題になりました。
潜在的に今も昔も親子と夫婦の関係の問題はあったでしょうが、報道の即時性とビジュアル化で、より顕在していると考えられます。

イジメや人間関係の対立を助長する役割のことを・・・確か・・
トラブルメーカーというはずです。
陰で人の悪口を言って、二者の対立をほくそ笑む・・そんなイメージでしょうか。
二者が喧嘩しているところに割って入り、第三者的に人格者面して老獪に振舞う。

そういう姿を報道という職業は常に反省しなければならない・・・はず

毎日、テレビで、尊敬と敬譲とは思えないような人間関係や職業的な上下関係を感じさせる場面・・・を懸念する気持ちを皆が持ちながら、批判できない。
パワハラから子供達が何を学ぶのか、という角度での思考が感じられません。

現代のポピュリズムの媒介はメディアもその一役であるとすれば、メディアのレベルが、その限界ということにもなります。

この世は、清濁あって当たり前、清濁どちらに偏りがあっても住みにくいもの、
だから、何か特定のモノが罪悪であるということはなく、それがあるために次の次元でそれに対抗する新しいモノが誕生するのですから。

何はともあれ、この一年間は、様々な意味で、アウフヘーベン的な変化を見たような気がします。

罵詈雑言偏見差別の対極

2006-12-27 12:31:49 | 私見アウフヘーベン
ブログは様々な情報が発信されます。大量に。
このニューウェーブはまだ着地が定まっていません。

既存の価値観や文化を破壊するかもしれないし、より発展させるかもしれません。
既存メディアの対抗勢力となるときもあれば、迎合意見を増幅させるかもしれません。増長して、民族間、国家間の議論を始めると国際紛争に発展する可能性も、国際平和や福祉の増進に貢献することもあるかもしれません。

ネットの空間と言えども市民社会の範囲の中のもの、あるがままに自由に振舞うことができるのですが、法制や規制がその発達に追いつかないために、有機的事件となってからの対処、つまり問題解決は事後的です。

ネットという性質上、より直接的な言葉で自己表現されますから、罵詈雑言、偏見差別が跋扈します。素直な意見、正直な感想などとある意味で賞賛されることになりかねないことに留意する必要があるかもしれません。
自由に振舞うことができる市民社会に、その自由を調整する機能がなければ、共同体としての意味を成しません。結果として、その共同体の中に存在するもの全ての「住みにくさ」となるに違いないからです。

この罵詈雑言や偏見差別の根底にあるのは、人の「高慢」だろうと書いてきました。優越感と劣等感という感情が対人関係の双方にある以上、争いごとは起きます。支配と被支配、うぬぼれと苦しみを生み出します。ネットは匿名であれば、支配される弱い立場の人の言葉の叫び、ストレスのハケ口にもなります。

誹謗中傷罵詈雑言偏見差別ばかりの情報発信ブログがアクセスを集めても、この市民社会の善意がなくなったわけでもない。この社会のどこにどんな病巣があるのかという原因発見の試験紙の役割を果たしているという見方もできます。

ブログで発信される多くの情報に、善悪の判断をするのでなく、あるがままの認識をすることからはじめる。

罵詈雑言偏見差別の対極は何か、という意味は、ネット上も市民社会とした上で、この市民社会は、こうした現象を客観視した場合、市民教育の論点発見に役立てるように動くのか、有機的問題発生の規制と処罰のレベルを上げるだけなのか・・・いずれにしても変化していく事が予想できます。その変化が対極です。
「人の善意を信じる」という言葉だけの調整は、もう効くような段階を過ぎているかもしれない・・・

誰もが自由に振舞ってもよい・・・が、他者の権利を侵害してはならない。利害対立は調整されなければならない。
共同体のルール・・・です

資本戦争

2006-12-25 12:24:33 | 私見アウフヘーベン
新日鐵の株価が毎日のように新高値・・・
裏には・・・やっぱり中国やインドの経済成長があるのでしょうね・・・
経済の高度成長は素材産業、とりわけ鉄は産業のコメと言われる・・・。
アルセロールとミタル・・・日本の鉄鋼業と韓国のポスコの企業戦略も加速するわけです。
中国の鉄鋼業が中小の乱立から寡占状態に政策誘導される過程にあることを睨んでいることは概観できます。
世界の鉄鋼会社が、その名の通り、「宝山」詣でしていることからも。

戦争ですね・・・
軍事力を背景に不平等条約で搾取した歴史とどこか似たような・・気がしないでもない。6割以上は外資企業の輸出ということを考えると、輸出大国にはなったものの、決して中国は独壇場の成長でもない・・・資本の戦争ですね。

全部取り上げるときりがないほど、他の業種でも、企業再編や提携、連携、M&Aなどが進んでいます。

とりわけ歴史認識として注目は、以前は公企業であったNTT、JTなど・・・世界戦略が進展し、将来さらに進むであろう事が見えてきています。

電電公社のままであれば、専売公社のままであれば・・・いったいどうなっていたのでしょう。もちろん、外国企業と買収・合併などはおそらくなかったでしょう。そもそも株式会社ではなかったのですから。

国益として認識すべきは、国家の平和的な発展を維持しながら、国家間の利害調整をすること。その利害調整は当然、交渉ということになります。交渉はお金という武器が全てを決します。すなわち資本、すなわち企業の支配権ということ。

近未来に、公企業から民間企業になる巨大金融機関及び運送会社があります。
全ての業種の日本企業は、世界にその活動の範囲を広げて発展してきています。
世界進出する日本企業に融資するのは・・・ロジスティックは・・・
鉄が産業のコメであれば、金融は血液、ロジスティックは血管かも。

この先の未来予測は誰でもできますよね・・・。

郵政民営化の反対議員に、資本戦争を繰り広げる世界の中での、
日本の未来戦略を聞いてみたく・・・・無駄か・・・



税調会長辞任とポピュリズム

2006-12-23 13:56:59 | 時事報道放談
税調会長の辞任を誘導したメディアについて、如何に考えますか?
・・・というリクエストがありましたので、書きます。

人はいいけど、腕の悪い大工に家を建ててもらいますか?
人徳者だけど、技術のない外科医に手術を頼みますか?
職能に期待して任命した人ですよね・・・税調会長って・・

現在の妻とは既に関係破綻していて、彼の地位からは不釣合い(と言いたげ)な職業の女性と内縁関係にある。
→という客観事実に対しては、生まれや生い立ち職業差別なく人を愛することができるという、あるべき人格を思うだけです。

家賃が優遇されている公営の宿舎を利用していた。
→利用者の全てを資格審査して比較しなければならないことになる。
そもそもの家賃水準の問題とするならば、今回の報道は筋違い。
全国の公営宿舎全てを審査して、近隣の家賃水準に修正することができるかどうかを法改正も含めて議論する。
議論の着地を希望的にいうならば、近隣水準との差額を給与認定することが一案かもしれないが、人事査定と調整が難しいことも予想できるので、差額を雑所得として入居者は確定申告する。
せめて・・・それぐらいの納税意識をお持ちいただきたい。議員宿舎を利用しない議員は、賃貸であろうが持ち家であろうが、相応の維持コストを支払っているのであるから、家賃優遇された入居者は、優遇分の所得を給与とは別に取得していることになる。したがって、差額は雑所得として総合課税。

日銀の総裁のときも、同様な報道がありました。
職能で任命された人材に対して、期待される職能とは関係のないことで辞任誘導報道されることの、個人と公益の損害を如何に考えるか。・・・という議論がメディアに現れない・・・危険だねぇ・・・

職能に影響するほどの事案かどうかの審査があり、影響が大きい場合は辞任。現在の職務に関係ない場合は、事案に応じて是正勧告などをすればよいだけである。

マスコミも政治家さんも、支持率だか視聴率だか、選挙に影響するだとか・・・
本末転倒!
よい政治をすれば、選挙で票が集まるのであって、
選挙で票を集めるために、政治をするんじゃないでしょ!
意味分かる?マスコミの人と政治家の人!
これを、確か・・・ポピュリズムって言うんだっけ

マスコミ報道を全部マにうけると・・・
パチンコも競馬もしたことない、酒も飲まない、生まれてからこれまで風俗関係の遊びもしたことがない、嘘もつかない・・・・そんな人を探して議員や役人にしてくださいよ・・・ということになりかねないわね。

もちろん、そういうことを言うことが義務のように思っている報道機関全ての役職員の潔白証明が求められる・・ことも覚悟してね。

ポピュリズム・・・民衆はそこまでバカじゃ・・・ありませんわ



保険金が支払われない事故死報道?

2006-12-22 12:39:25 | 自動車保険
今朝のニュースで、二車線道路の反対車線に侵入した車の運転手Aが対向車Bと衝突(直前に対向車が追越をかけて、先にセンターラインを超え対向してきた。それを避けるために反対車線に入るが、追越をかけた車が元の車線に戻ったため正面衝突。警察はBの直前の追越行為を調査しなかったため、Aの100%過失となったという警察批判の報道)

そのとき、専門家らしい人や弁護士も同席のコメントがありました。
Aは自賠責も任意保険も支払われない・・・これはかわいそうだから、保険会社は支払うようにすべき・・というような内容・・・

Aの過失割合が100%であれば、Bが契約する自動車保険は支払われません。Aの契約する保険で、「相手の損害」対物(Bの車)と対人(Bも怪我をした場合)の損害に保険金が支払われます。対物は自賠責保険と自賠責の限度を超えるものは任意保険から。対人は任意保険から支払われます。

さて、報道では、「任意保険でも支払われない」と何度も繰り返していましたが、この説明表現は誤りです。

Aが任意保険で「自分と家族」の人身傷害保険、又は自損事故特約、搭乗者傷害保険を契約していれば・・・たいていの場合・・この種の保険は加入しています、死亡保険金が支払われます。Aの責任割合にかかわらずです。

したがって、「たいていの場合は任意保険で人身傷害保険等を付けているので支払われますが、たまたまAさんは人身傷害や搭乗者傷害も付けていなかった為」・・・と説明しなければならないはずです。

また、目撃証言があるのであれば、警察の事故調査をやり直すよう請求が可能で、その場合は、Bの保険で対物と対人保険が責任割合分支払われます。粛々と事を進めればよいだけの話。

「警察のズサンな捜査」や「自動車保険の制度不備」を、ことさらに強調することが目的の報道、ということに・・・結果として、なってしまう。

しかし、故意、重過失、飲酒運転などには保険金は支払われません。これを保険会社は「免責」という不遜な表現で説明しています。自分を主語にした保険会社中心の考え方が現れた用語です。「顧客第一」は言葉ですら実現していないことを、思いつきもしない、変えようともしない・・・。

飲酒運転事故や高齢者の交通事故がこれだけ毎日のように言われる中で、自動車に限りませんが、増加する犯罪に対しても、社会生活一般のトラブルに関しても、保険の知識が、誤解され、又は情報普及不足であっては・・・ならないし、不幸ですよね。

交通事故と保険のテーマは、いくつかありそうなので、今日からカテゴリータイトルを新設しました。


プロのボクサー

2006-12-21 13:42:07 | 時事報道放談
8月の試合のときに「テレビというトラブルメーカー」のタイトルで書きました。

「ある時点・ある断面であれこれ評価するのでなく、体験を重ねて成長する人間・・・という視点で人やその行動を評価するならば・・・

多くの人は、目標を立ててその実現に向かって努力します。しかし、亀田親子の目標は、間違いなく、並大抵の人では到達できないものです。想像を絶するトレーニングは、並みの考えでは及ばない強烈な動機付けが必要でしょう。
もし、一般的な価値観でその行動を制約しようとするならば、これまでの集中力は持続できないかもしれない・・・という見方をしたいと思います。

何かが不足していると批判するならば、一点集中の過程における、不器用な一面といえるのかもしれない。しかし、それは凡人には出来ないのです。彼らには必須の集中力です。しかも、成長の過程です。これから、どう成長・変化するのか、わくわくしてみている人もあろうかと思います。」

今朝のテレビで、「どうしてスポーツ選手として相手をリスペクトできないのか?」
という批判的な口調で彼に質問する場面を見ました。

あるプロレスラーに、ファンの一人としても期待をこめて現役復帰をお勧めしたことがあります。
彼の答えは意外で驚きでした。
「恐怖心・・恐怖心と戦うこと、闘争心という集中力・・これが一番難しい。」
この人をして・・・すっごいなぁ・・・と思ったことを忘れません。

亀田さんは、「相手を憎むことしかできない」「試合後はサッパリしてるが」というコメント。
・・・プロの格闘技の集中力は・・・だろうなぁ・・

プロの格闘技において、一点の集中力には、薄っぺらな言葉のモラルが通用しないことを、漠然と認識しているつもりで、そう理解したいと思います。

成長は、しかも急激な技術的な成長を、昨日の試合で見せてくれましたよね。
プロのボクサーには、何かが紙一重分の違いかもしれないけど・・・試合内容をガラッと変えるほどの変化・・・

まだまだ・・成長の過程・・・これからさらに、どう成長・変化するのか・・・

大阪弁というのか、関西弁というのか・・・関西の人と長くお付き合いのある方はご存知ですが、言葉の「聞こえ」ほどには、本人に悪意はありません。
見栄えだけの道徳心を説く自称知識人のコメンテーターの言葉のほうが浅いようにも・・・

生きるための集中力は・・プロ格闘技に限らない・・・わね
集中しよっ!
じゃね。



教育基本法と家庭教育2

2006-12-20 12:13:01 | 防犯論議
教育基本法の新設項目として目に留まるものは、
第10条の「家庭教育」・・・
第13条、「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」と前回に書きました。

「保護者に対する家庭教育を支援するために必要な施策」(10条2)とは何か?
ということにも、関心を向けました。

このテーマを、「防犯論議」のカテゴリーに入れたのは、犯罪防止の対策として最大限の力が注がれなければならないからです。予防医療がなければ病院がパンクするように、事後の厳罰化ではない、予防のための施策がなければ、警察と裁判所は忙しくてパンクする。

「家庭教育」に基準や標準はありません。
個人は他の自由を侵害しない限りにおいて自由に振舞うことができる市民社会であることが理想です。
家庭において、どういう教育をしようが、自由であることが好ましいと考えます。しかし、学校や地域社会において他人の人権を侵害するような行為が制約されることを教えることが家庭教育の一項目となることは当然でしょう。

第18条「実施するために、必要な法令が制定されなければならない」
について想像すると・・・

親が子の自由を制約することに関しては、親の自由のためにのみ、その制約を行う親、つまり教育の義務を認識していない親を、如何にするか?
親→子間の多くの犯罪は、そういう説明ができそうに思えます。ここに、家庭教育の施行法のようなものができて、その制度の下にその親を指導することになる・・・かもしれないという予想が成り立つ。

子→親間の犯罪は、親が家庭教育を行うことができない状態であることを示しているので、「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」を前提に、第3者の相談監視機能が、政令や施行令で求められると予想できます。

犯罪の防止には、当事者全員が参加する教育が重要であるとの立場の思考フロー・・・・でしょうね。

家庭教育が犯罪の根源という暗黙の了解でなく、家庭教育はこれまで規範が示されなくても機能してきたが、犯則事犯の増加で制度の修正をせざるを得なくなった。
社会制度の変化への対応や問題解決機能が弱いと、全体では気にならない数だったアウトローが、年とともに親になれば、アウトローの数は自然に増えるもので・・・

全体像を鳥瞰すると、異常事態に対立意見が誕生し修正する・・・正常な反応。

異常値は正常値の範囲に収束する標準偏差の考えにも、
自然に正常な状態に回復しようとするホメオスタシス反応にも、
弁証法的アウフヘーベンにも、
・・・思えてきますよね


教育基本法と家庭教育

2006-12-18 15:54:51 | 防犯論議
教育基本法の新設項目として目に留まるものは、おそらく・・・私だけでなく多くの人は、第10条の「家庭教育」であろうと・・・第13条には、念を押すように、「学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力」と条文を新設されています。

第2条(教育の目的)の2において、
・・・職業及び生活との関連を重視し勤労を重んずる態度を養うこと

文科省の国民への説明の中にも、
「近年、子どものモラルや学ぶ意欲の低下、家庭や地域の教育力の低下などが指摘されており、若者の雇用問題なども深刻化しています。」
という文章がみられます。

世情を反映した法律や社会制度の変更が、なるほど、何人かが集まって議論すればそうなるだろうと予想できるものですよね。

実際に変更したい、又は変更しなければならない条文は最後の18条
「実施するために必要がある場合は」から「実施するために、必要な法令が制定されなければならない」と、態度を能動的にしたことです。

「保護者に対する家庭教育を支援するために必要な施策」(10条2)
・・・具体的には何か。


種々の犯罪やモラルの低下が、子の教育の第一義的責任者である家庭教育に原因があることは承知した上で・・・
具体的に夫婦間の人間関係、勤労意欲に関することまで介入しなければ根治しないかもしれないという結論の方向も考えられる。
「家庭教育を支援する」と言われても、各家庭の自主性を重んじるとしても「家庭教育」自体の標準がない。何がよくて何が悪いのか・・・
問題発生したときの対処方法が分からないで悩む家庭は多いと思うのです。家庭教育における問題解決、相談体制の必要性に議論の方向性が向かうかも・・・

そこまでやってほしい・・・、問題発生後に親を呼び出して叱責する施策でなく、家庭教育の主旨を普及する施策なんでしょうねぇ・・・

一方、豊かさの一害・・・働かなくても生きていける環境で、働かない子供に、親と学校などが協力して、制度として、第2条(教育の目的)の主旨を普及する意味はあると思えます・・・が、その施策は?

具体的な施策に・・・期待が大ですね

さすがに、報道機関もバカじゃないみたいで・・・最近は
「愛国心と軍国主義の連想」のような、批判のためだけの意見報道はなくなった
みたい・・・まだやってる・・の?

えっ!第14条の2違反の疑い・・・の団体がある?
でもこの条文は改正にならなくても同じですわ

批判とアウフヘーベン

2006-12-16 14:42:38 | 私見アウフヘーベン
「時事報道放談」において、報道機関の体制批判のロジックを客観認識する試みをしてきました。「私見アウフヘーベン」においても、対立思想が次の次元の思想を生み出す弁証法的発展を当てはめて論じてみました。

さて、現代は・・・いつの世にも市民社会はその調整機能としての社会制度やそれを執行する役所の批判を行います。役所と役人の怠慢と責任回避、権限悪用の賄賂のような構図は、制度の限界として「デキゴコロ」が起きやすい部分を持つからなのでしょう。性悪説に基づいた公共サービスがそぐわない、人の善意に基づいた制度である必要があるからとも考えます。
・・・が、・・・だからこそ、市民社会の監視と批判に社会制度はさらされ、それだからこそ、改善が繰り返され、時代に合わせたより高次元の価値観を生み出す。

では、そのさらに次の未来予測を・・・

市民社会で個人が自由に振舞うことのために、その自由を調整するために機能としての社会制度を、近視眼的な個人攻撃に堕することがないように注意しながら、体制改善を目的として批判する・・・これは、そういう認識であれば、報道の職業意識として、あるがままのもの。そういう認識なく、劣情をモヨオす見出しやゲーム感覚の対決構図で視聴率をねらう批判報道ばかりだと、個人の倫理観を悪化させ、さらに犯罪が生み出され、皮肉にもその報道をする・・・何をか言わんや、とはこのこと。

こうした体制批判の対立概念は何だろう?
市民社会で自由に振舞う個人の態度・・・家庭と学校の教育で個人の倫理のあり方に修正・改善の必要が感じられるのであれば・・・個人の生活態度の批判報道も増えてくるはず。そうすると、世の中にはバカがたくさんいます・・・みたいな風潮というか・・・結果が想定できそうで・・・、
制度批判と同時に、その制度に対する個人の態度はどうあるべきなのかという順法行為も議論していくということが、私の答えなんだけど。

うまく、機能するといいけど・・・

良い事、すばらしい事を褒め称える報道が増えるという対立概念が、批判報道の何倍もの量で、しかも同時にあることが・・・
これは視聴率取れない?

ある概念があると、それに対峙すること、違う角度で考えられうることをいくつか想定して思考してみる・・・という試みで書いてみましたが・・・
アウフヘーベンしたかな・・・







タイトル(未来予測)の説明

2006-12-14 17:59:14 | 私見アウフヘーベン
東京駅から15分は私の場所を示していますが、サブタイトルの「未来予測」

私の目には、この世の全てのものは、対立が存在するように見えています。
「対立は在るもの」という認識です。

一方・・・弁証法的な発展や進化という概念で歴史を説明することがあります。
対立概念、対立思想、政治イデオロギー、国家間の対立、与党と野党、支配と被支配、君主と民衆、資本家と労働者、上司と部下、裕福と貧困、健康と虚弱、物質文明と精神文化、新しきものと古きもの、男と女、妻と夫、親と子、教師と生徒・・・・まだまだ続く、もっと・・・

対立するものは、議論を尽くし、時には激しい抗争、お互いを傷つけ合う戦いを繰り返しながら、より高次元の、あるいは折衷的な、又はお互いが妥協する解決が生まれます。その解決思想は、また新たな対立思想に対峙することになる。これの繰り返しが歴史であり、発展である・・・アウフヘーベンの意味でもある。

未来予測は、その考えの応用・・・の思考プロセス
イジメ、犯罪、社会制度等において、市民社会の意見は試行錯誤を繰り返す。
いくつもの対立意見を持った人が集まって議論した場合に、どこに着地するだろうかと、第三者的な見地から予測を立てることは、おそらく難しいことではありません。

弁証法的に過去の歴史の発展を説明するのでなく、現状の対立意見をあるがままに認識すれば、その後に選択されるであろう解決策を予想することができます。
何年もかけて議論されるテーマもあれば、翌日に判明するテーマもあるでしょう。

そういう意味での「未来予測」・・・がタイトル

犯罪やイジメ、親子の犯罪などと、それについての報道について、想定できる意見を認識して、着地の予測をしながら、それを試してきました。

投資の世界においても、個々のビジネス(マーケッティングや経営判断)にしても
同様な未来予測が行なわれています。
特別な思考プロセスでなく、誰もがどこでも当たり前に・・・ただ、言葉やロジックで認識しているかどうかということです。

意見が対立するときに、相手を憎む、イジメるという対人関係と対人関係の心理があるのだとすれば・・・・この意見対立はどこに着地するのだろうと未来予測する考え方を試してみる。双方の未来の関係をお互いが考えあう・・・

・・・そんな考え方があれば・・・
問題解決までのリードタイムは短縮されるかも・・・

「そこまで冷静な奴らは、初めから喧嘩はしねぇよ!」って・・・
まぁまぁ、いいじゃないの、話のネタぐらいには・・・ねぇ


海外の不動産取引詐欺事件

2006-12-13 11:33:01 | 防犯論議
定年退職後に、海外のリゾート地に住居を購入する。
仲介業者に代金を搾取される。

・・・・ありえる?・・・ありえない?

不動産取引は、宅地建物取引業という法律の下に調整されるものですが、
仲介業者は、仲介手数料を受け取るに過ぎない。
不動産購入代金の全額を、仲介業者に支払うことは、ありえない。
現所有者との相対契約で、契約書調印と同時に権利書をもって登記がなされる事を条件(通常同一日)に、現所有者に代金支払うという「同時履行」のルールがあるので・・・ありえない話。

歴史上の国家間の関係は、民族や文化水準(実際は軍事力)の優劣と称して不平等条約を正当化したオーベー諸国の傲慢が鳥瞰できるのですが・・・
何もかもを契約や法律というものを大義とするオーベー思考についていけていないのかも・・・社会が複雑になればなるほど、その調整機能として司法制度が複雑になることは自然と考えますが、それをその国の教育制度に組み入れる優先順位が変ってこなければいけません。
契約のための知識普及がなされていない社会なので、
この種の詐欺事件は・・・ありえる話。

税法のようにこの国で生活するために必要な知識が、選択制の大学にしかないのは変でしょうし、契約制度も生きていくためには絶対必要!なのに民法と民法に関わる種々の法律知識が不在です。弁護士がその数を増やさないように圧力をかけることは、それに逆行するという考えではありません。せめて生きる、生活に必要な基礎知識だけでも、中学や高校で教科にあればいいのに・・・
宅建やFP技能士の試験問題レベルを、ず~っと下げたものでもいいから・・・

それが、いくつかの詐欺事件を防止するだろうことは想像できます。
事後的である犯罪捜査を強化することと同時に、それ以上の予防措置がなければ、
警察はパンクしますよね。




コンプレックス・・・追加2

2006-12-12 14:21:52 | 私見アウフヘーベン
さらに追加で続けてみます。

私はどんな性格なんだろう・・・と多くの人は興味を持ちます。

コンプレックスとは、何らかの感情によって統合されている心的内容の集まりである。ある事柄と、本来無関係な感情とが結合された状態であり、これを「心的複合体」とも訳す。(ユングの定義:Wikipedia)・・・人の心は複雑ってこと?

人の心理を考える場合、「自分」に照らして考えることは自然ですが、やさしいとか誠実で正直だとか・・・・実は、必ず自分以外の現象、他人の行為や言動に対して、いかなる反応、応答をするのかということを考えることであることに気が付くはず。

占いで、あなたはこういう性格です、と言われ、なるほどと思う・・・けど、あなたの性格が独立して不変なものとして形成されているのでなく、外的事象にどのように反応するのかという判断の選択肢の形態が性格というものかもしれない。

性格は体験の積み重ねでも異なるので、その体験の積み重ねは、学ぶ力のような感受性でその量に差ができて、大数の法則のような確率論的に質を生み出す・・・。

なんでこんな難しい書き方なんだろね・・・まだ試行錯誤中だからですが・・・

心理学は、犯罪捜査のように事後的に活用されているのは知るところですが、犯罪が起こらないように、つまり予防のための心理学が未発達な気がします。

性善説に基づいた社会制度(それはすばらしいことですが)を、現代社会は少しだけ修正する必要が出てきている。
犯罪者の心理分析をする。心理的な更生が行われる。これらは事後処置です。
予防措置がなければ、更生施設はいっぱいになるでしょうに・・・

学校のイジメも同様・・・昨日書きました・・・予防。
同じ事を重ねて書くのは・・・
学校教育における罰則主義を否定するものではありませんが、予防の対策が同時に、かつ罰則の強調よりもさらに大きな声で普及しなければならないだろうとの思いからです。
「やっています」という言葉の繰り返しではない予防策。

そして、その予防は、体系的な対人関係の心理研究をベースにしなければならないと思うので、そもそもの、ベースの研究を体系的に始めるべきだろうと・・・

ちょっとアジっぽくなったので、おしまい・・・

コンプレックス・・・追加

2006-12-11 18:38:46 | 私見アウフヘーベン
先の「コンプレックスとコミュニケーション」に追加です。

イジメや犯罪は、「犯行動機」という角度からのみ解明しようとする傾向があり、犯行当時の刹那的な心理状態に焦点を当てて罪状認否と量刑判断をしようとしているように思える。

それらは、対人関係(コミュニケーション)の不具合が多くの原因であることは否定できないとすれば、両親、配偶者との関係、友人等との関係における心理の、様々に分類される「コンプレックス」の解明が犯罪防止に必要であるように思う。

また、犯罪に至る部分の議論でなく、人格形成の過程における教育(家庭・学校・社会)においてこそ、この対人関係の様々なコンプレックスの理解(認識と対応)が必要であるように思える。

心理学等や学問的な角度でのことでなく、生活に必要な常識としての理解である。
父親や母親の性格から想定できる子の心理状態と対応方法や、夫婦間におけるケースと対処方法、夫婦の共通認識のパターンと対処方法・・・等

教師は、対人関係(親子間、兄弟間、友人間等)のコンプレックス(複合的な心理内容の集合)を理解していなければ、問題解決しようがないはず・・・

教職課程の教科に教育心理学や教育方法論はあったように思うけど、フロイトやユングよりペスタロジーじゃないだろうか・・・よく知りませんが。

いや、歴史に学ぶ教育法や教育心理も大切ですが、現代社会の教育心理の方が・・・知識情報が分散しているのでなく、体系的に。

まぁ・・・なんとなく知ったかぶりで・・・・書いちゃったけど・・・

多くの場合、対人関係の問題は対症療法的にしか考えれないのが現状ではなかろうかと思うと、対人関係を学ぶ課程の教育は根源的に重要なのであって・・・知育なのか情育なのか知りませんが・・・学校や教師にその認識がないと、十人十色の人生経験の保護者と十人十色の対応策に追われる姿が想定できるわけで・・・
まぁ、対症療法的な解決しかできない場合のお医者さんは大変で・・・だから予防手段を探すわけですが・・・

イジメの厳罰化が予防になるのだろうか・・なったにしても〇X△あるはず・・・
何でも厳罰で処することに心理的に慣れる・・・被害者意識から処罰を過度に求める集団心理の成育・・・などと連想することも・・・
イジメが起こった後の対処を考えるならば、イジメが起こらない教育法(家庭・学校・社会)の共通認識のための研究が・・・同時進行していなければ・・してたらいいね。

これも、まぁ、対症療法に追われる人には、現場を知らない第三者意見で・・・