性格が合わない

2008-10-29 17:43:51 | 相続と離婚
たぶん離婚理由の第一位が「性格の不一致」

そもそも「性格が合う」とは何か

生まれも育ちも違う二人の男女(多くの場合)が出会う
性格が同じ人がこの世に二人いることもなく、パーソナリティは千差万別のはず
そもそも性格が合うとか一致するという定義が不明である。

出会いの当初は、相手の性格に合わせようと、又は理解しようと努力する
その意思と行為を好ましいものとして、様々なコミュニケーションが交わされる
無事にその儀式が終了すると二人は、お互いの人間性を信頼しあう関係が構築できたと思い込み、結婚する。

目的が達成された後は、相手の性格に合わせることや、理解しようとする努力が
・・・弱まるんでしょうか・・・

性格が合わないと言い始める・・・初めからわかっていて合わせていたのに・・・
うまく説明できないものですから・・・性格が合わないと説明する

これが離婚原因の第一位ですから
結婚というものが危弱さを示しているのでなく
相互理解のためのコミュニケーションの方法論的な稚拙さなどを議論していけば
解決策があるかもしれない。
又は、誤解の結婚を避けることができるかもしれません。

素敵な人やすばらしい人がいるのではなく、素敵やすばらしいがあるのでもない
素敵やすばらしいの多くは、二人でつくりだすもの、かもしれない。
×だからだめと考えるのでなく
×があればこれを○にするにはどうすればよいのか、と二人で考える


これができそうにない人とは結婚しちゃいかん・・・ちゅうことやね!^^




報道のロジック

2008-10-27 12:06:59 | 時事報道放談
先週からの話の流れで・・・続きを

23日の3番目のコメントNyanさん・・・その通りです♪

特定記者と新聞社、又はその質問内容を議論したつもりはなく、これまでも質問者が相手を憤慨させることで相手の感情的な返答を誘って、それを批判する、
という報道を何度も行っていることに、視点があります。
この常套手段ともいうべき報道文章と、これを引用したテレビなどの繰り返し報道

ここに気がつくべきで・・・

テレビの解説者などの論理は、政治家の報道は「権力者の監視」みたいな使命感を言うことがあるのですが・・・
あやしいものです。

その視点のみによって報道しようとすれば、曲解としか思えない表現を行うことが考えられますし、実際にそう思わざるを得ない場合をみることがあります。

また、読者・視聴者の認識を誘導するために、たいていは「対立構造」を作り出して演出しようとする姿勢が見えます。
勝敗を競うスポーツやゲームのように報道することによって、どっちが勝つのだろうかと興味を引くことができるからです。

しかもこれをメディア自ら創作すことができます。
「週刊誌の記事では、あなたのことをこういうように言っていますが反論はありますか?」
のようなインタビュー・・・あなたの悪口を言っている奴がいますよと、両者の対立を作り、自らは第三者を気取る。


確かに、報道者の背景には、新聞が売れることや視聴率を高くするという経済動機があります。
そのために扇情的な言葉表現で全てを誘導することがありえます。
捏造的な報道となりやすいだろうこともうなずけるわけです。

正しいことを報道しても、正しいということ事態は当り前で報道に値しないと反論するでしょう。
しかし、それと意図を曲げて表現することは別のはず、また、曲解という行為は全ての事象に対して可能なことで、全てを正しくないと報道することが可能であることを認識していなければならない。

権力に対する監視は重要なことで、これをメディアが市民社会を代理して行うことは理解できます。
しかし、市民社会を代理しているかどうかは、メディア自身が常に反省と検証をすることが必要ですね。

市民社会は、為政者を権力とみることがありますが、間違いなく、新聞やテレビの報道の姿勢も権力とみます。

そういう自覚が・・・ないか希薄であるために、
政治家の一言一句の失言に対しては、過去の功績に係わりなく、辞職・退任などの責任を追及しますが、
記者やテレビの解説者の発言に責任を追求することはありません。

市民が特定の新聞・週刊誌、番組や出演者などに大きな怒りと嫌悪感をいだいていても、彼らをそのフィールドから退出させるプロセスが不明であることは、
さらに嫌悪感を増幅させます。

ま・・・今日はここまでかな・・



総理大臣の飲食報道の追加

2008-10-25 23:35:53 | 時事報道放談
一昨日の記事に追加で・・・

道新の記者が質問した内容については、価値が見えなくてあえてコメントしませんでしたが、総理大臣に限らず、ある程度の地位や職責にあるものにとって「情報」というものは非常に重いものです。

その情報はいかにして得られるのか・・・
新聞やテレビで得られると考える総理大臣がいたとすれば、その人は怠慢です。
情報は人から来るのです。

その情報を教示してくれる人に、感謝の気持ちがあれば、それなりの場所で
ご接待したいと思うのが、礼儀かもしれません。

森元総理は高級料亭で、自分のシンパとなる政治家を接待していたイメージがあります。政治ではなく、地位を維持するための人脈作りの接待です。
小泉元総理は、必要な時間以外は官邸で一人過ごしていたイメージがあります。
広角レンズで判断する情報は、はたして得られたでしょうか。

麻生総理は、連日のように様々な人と会食し、情報交換をしている印象があります。

さて、総理大臣として、好ましいのは・・・・

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思い起こす言葉が一つあります・・・・「弱い紐帯の強み」

マーク・グラノヴェッター (Mark Granovetter) はスタンフォード大学社会学部教授で、現代の社会学に大きな影響を与えた社会学者である。彼の唱えた中で、最も洞察力を見せた説は「弱い紐帯の強み」(1973年)として知られる、共同体の中での情報の伝播に関するものである。

社会学における「弱い紐帯の強み」"The strength of weak ties" 説はグラノヴェッターの名を高からしめた。この説は、緊密な社会的繋がり、例えば親友や核家族は力を行使するには適当だが、密なネットワークは高度に冗長な情報を持つため、探索にはほとんど無用であるとするものである。一方、弱いつながり、即ち単なる知り合い関係では情報の冗長性がはるかに低いため、探索には極めて有効である。しばしば情報は力よりも重要であるから、個人が発展していく(求職等)には弱い繋がりの方が家族や友人関係よりはるかに重要となる。
[出典:たぶん・・・ウィキペディア]
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

この言葉は、特定の強い繋がりの人と話すより、そうでない人から得られる情報が重要であることを実証したとされています。
人は、身内の話ばかり聞いていると、情報が偏り、発展性・向上心を弱める・・・ということは、以前から言われていますね。


そういう意味で、家庭生活を犠牲にしてでも、連日いろいろな方とお話をされることは・・・・私であれば、与えられた役割や仕事に対する集中力の一端を示すものとして、恥ずることはない。

場所の良し悪しは、その次の問題で、居酒屋と焼き鳥屋が好ましいという野党の皆さんの庶民感覚では、自宅でコップ酒を飲む庶民感覚は説明できない。
情報を与えてくれる相手に、コンビニで買った酒で、毎日のように自宅で接待して御覧なさい。

特定の記者がどうだというつもりはなく、これを材料に対立構造を作り上げゲーム感覚で報道することと、野党の近視眼的思考を・・・あきれて見ているだけ。




北海道新聞の長谷川綾記者

2008-10-23 17:02:28 | 時事報道放談
麻生太郎首相のナイトライフに鋭く切り込む質問を行ったのは、今年夏に総理番記者となった北海道新聞の長谷川綾記者
・・・と報道されている。

必要性がある質問内容とは思えず、
言葉表現として礼節があるとも思えず

鋭い切り込みなどと各メディアに評価され、反論した相手の情緒未熟の指摘をする、という相変わらずの論法
本日のテレビ各社の解説者や出演者は、例外なく、身内びいきに、お手柄のような報道してました。


子供たちや市民社会の教育という観点でこの風景を眺めてみましょう。

相手が嫌がるだろう、又は怒るであろう誹謗中傷のような話を投げかける・・・わざと。
→相手が怒ると、「キレた」「感情をあらわにした」などと、さらに相手を批判する。

この行為を、注意するどころか「鋭い」などと褒めちぎる・・

そういうことを、してもいいのだと、テレビや新聞は、社会や子供たちに教えている。

イジメというものが、コミュニケーションの稚拙や誤りに起因すると考えるならば・・・

言葉の表現やコミュニケーションの伝播力が強い、テレビや新聞などの職業従事者は、何をどのように発するべきなのか
もっと広角な視点で、もっと愛情を持って
職業意識が・・・あるといいなぁ・・・

家族って何だろ?

2008-10-23 12:19:04 | 自立の定義
一昨日、親と子の心性みたいなメモ書きしましたが
さて、夫婦・・・家族は?と思いが広がるわけで・・・

最近ちょっと気になるテーマなので、よい書物を探してました。


情愛は家族の絶対条件か 
家族イメージの核心は何といっても、そこは人間にとって不可欠の心のやすらぎを与えてくれる情愛に満ち溢れた場であるということだろう。人と人とが功利的・手段的な契機で集い、不断の緊張状態におかれるゲゼルシャフト的関係が近代以降の人間にとって重みを増してくるなかで、家族はお互いが全人格をもって感情的に融合し、親密な愛情のもとに運命を共にするゲマインシャフト的関係の代表であると、F/テンニースは定式化している。
[「現代家族の社会学」石川実(編):有斐閣ブックス]

”家族はお互いが全人格をもって感情的に融合し、親密な愛情のもとに運命を共にする”
これが・・・難しい・・・もともと他人の二人の出会いがあって、
感情の高まりに導かれ結婚・・・その後に理解を深めていく
全人格をもって感情融合する・・・なんでしょうね?
人は良くも悪くも在るものであれば、その良くも悪くも全てを受容れて感情融合
人は良くも悪くも在るのでなく、良くも悪くもをあるがままに認識して、
良きに近づける、修正する、改善する・・・その意志が良いといえる唯一のもので
絶対的な「良」や「悪」が在るのではない。

そういう夫婦の出会いってあるかな?
なければ、そういう導きのようなガイドが一般的にあればいいかも



親と子の関係

2008-10-21 12:01:37 | 自立の定義
”親は子に対して、どうありたいと思うか”

”子は親に対して、どうありたいと思うか”

この視点は、ありそうですが、その頻度は少ないかもしれない

親も子も、自身の体験に基づいて、自身の都合で相手を見る・・・
子はかくあるべき、親はかくあるべき・・・と。
たぶん、この方が通常の思考回路と考えられます。

親と子の関係を第三者の視点で説明されるものに、
親と子、それぞれが納得する・・・ということかもしれない。


「この親にしてこの子あり、この子にしてこの親あり」

バカな親子に対しても使われる一種のカラカイ表現かもしれません。

しかし、これが、
人を感動させるような立派な親子に対して使われる場合

それを見聞きする第三者は、自分もそうありたい、と思う・・・

子にかくあるべきと求めるより先に、親としての自分がかくありたい・・・と。
親にかくあるべきと求めるより先に、子としての自分はかくありたい・・・と。


何か・・ね、身が引き締まるような気持ちになるでしょ

良く生きる、正しく生きる・・



消費者庁の大臣発言

2008-10-03 10:38:09 | 時事報道放談
消費者行政の「食の安全」というのは?

こんにゃくゼリーで幼児が喉をつまらせる死亡事故が再発したので、商品回収を促した・・・という記事がありましたね・・・

この記事で、今年の正月はもちを食べちゃダメなんかな・・??
と連想した人もいるかも・・・

群馬県の農産物の生産と供給の問題にも波及します

一つ一つのものをチェックすると、他にも多くの食品が回収の対象になるものが
あるかもしれません。

まだ、「食の安全」の定義が定まっていないのかもしれませんね
「食生活の安全」と、言葉を少し変えただけでも、その範囲は異なりますし、
食の供給も安全・安心のベースですし、
栄養・成分によっては、安全性は人によって異なるはずです。

行政として、食の供給サイドは農林省、食品の栄養・成分分析等が消費者庁みたいな構図だと、過去の学習がない政治ということにもなりかねませんね

さて、さて・・・