「身を切る覚悟」と言う人の心理

2012-01-22 00:56:26 | 正義考
「身を切る」…自分の金で払う。身銭を切る。(大辞泉)

国民に増税を了解してもらうために、公務員が先ず給与や手当を削減する。
官僚をはじめとする公務員の意識を変え給与削減などを要求するために
先ず国会議員が定数を削減したり手当の削減などをする。

たぶんそういう意味でしょう。


が、


今この言葉を使用する人は、大変な勘違いをしている、かも。
少なくとも適切であるとは言えない。

この言葉表現は
国民は公務員や議員と対峙するという関係を前提としている
国民⊃公務員⊃議員
なのであって、

貴族社会や武家社会であれば、為政者と人民は対峙する関係だったかもしれないが
為政者は人民を支配する関係であって、人民⊃為政者 ではない。

この関係では、「身を切る覚悟」を示すという論理は考えられる。

身を切ると言う場合の身銭は、税金であって、国民が支給しているという考えが合理的だ
国民から支給された議員と公務員の給与を削減しますから、
国民の皆さんはもっと税金を払ってください…

…でなくて、

国民の全体平均からかけ離れた水準の給与と各種手当が支給されていることは
極めて公平を欠くことなので、これまでこれを放置しておりましたことを深くお詫び申し上げ、速やかに適正水準に訂正します。

…なのである。


そもそも、公務員や議員が給与削減することに覚悟など必要ないのである。
立法の仕事をさせているのだから、誤った法律と制度を変えるということが…仕事なのだ。

3割削減して全体平均に戻して、その財源を百万人単位で震災復興などの雇用…とか
年金はすべてを税金でまかなうとか


そんなことはともかく

身銭を切る覚悟という言葉、、、得意顔で使うもんじゃない
社会全体に奉仕する機能として公務員を設置しているのは国民、市民社会であって
市民社会が公務員の給与を意のままにできなければ、それは誤った制度である。